2018/08/30

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ギリギリに滑り込むように縄文鑑賞。




今までに発見された中では世界最古の人の痕跡に挙げられる土器などを含めて、一同に会した展覧会だったので早くから行こうと思っていたが結局最終週になってしまった。




会場には大勢が詰めかけ鑑賞には厳しい条件だったが、陳列されている作品群の迫力に集中力が刺激され全く気にならなかった。




かつて「あなたは前世では縄文土器を作っていた。」と言い切られたことがあり、前世や来世など信じたり考えたことの無い私でもさすがに気になっていた。




それは置いておくことにして実際に目の当たりにした縄文時代の作品群は、強烈なオーラを放ちながら実に饒舌に語りかけてくる。




今までいくつかの縄文土器を見てきたことはあったが、これ程の量の土器や土偶などが一同に会するとその迫力にも拍車がかかる。




ありったけの想像力を駆使して語りかけられる縄文語を理解しようと試みるが、きっと情報量の半分も受け止めることは出来ていないと思う。




土器が煮炊きに使われていたならば表面にはもっと焼け跡が残っているはずなので、やはり水瓶か水鏡に使われていたのではないかと想像する。




最近はあまり見られなくなったが、インドで飲み水は須恵器の壺に入れられていて、それはとても理にかなった貯蔵法だったし今回もそうした水瓶に似た展示品もあった。




そしてやはり火焔土器のようなものは象徴的に飾られていたか、水鏡としてやはり月などを映すのに使われていたように思えてならない。




盃に月を映したり、京都で送り火を映して飲んだりする行為は今でも行われている。




それは例えば一年間の無病息災を願ったりする呪術的又は信仰的行為で緩やかに受け継がれてきたのかもしれない。






長期に渡り各地で同じような形状の土器が作られてきたのに、ある時期を境に全く作られなくなるというのはとても不思議なことで、何かが起こったことは容易に想像出来るが、その変わり身の鮮やかさは現代にも通じる日本らしさなのかもしれない。






いずれにしてもこの国は時代を遡れば遡るほど傾いていくのがよくわかる展覧会だった。