Tabla奏者の中川ヒデアキ氏が、さる9月15日未明に亡くなられた。
デンさんという愛称でで親しまれてきた中川氏とは、
共演者であると共に共通の趣味でもあった鱒釣りでも多くの時間を共有させていただいた。
誰もが避けては通れぬこととは言え、
享年57才というのはあまりに早く喪失感は限りなく大きい。
1994年にタブラ奏者の逆瀬川氏に紹介され初めて北海道を訪れて以来、
毎年のように共演と釣行をご一緒してきた。
最初の川は札幌近郊のラルマナイ川だった。
クマ出没注意の看板のあるところでの釣りもインパクトがあったが、
譲られた川に降りてすぐの好ポイントからいきなり飛び出した40センチを越えるニジマスは
更にインパクト大だった。
それ以来今では想像出来ないほどの魚影が濃かったピリカダムや
デンさんのホームグランドになった支笏湖、
幻想的だった頃のチミケップ湖、そして猿払でのイトウ釣り。
野生そのものの大自然の空気の中で共に驚愕し喜びを分かち合ううちに
神経は研ぎ澄まされていき、
言葉でのコミュニケーション以上の意志の疎通を感じるようになり、
それは共演していく中でお互いに確かなものとして実感していった。
そういう感覚について二人でよく話し合ったものだ
即興演奏をつき詰める古典の演奏で
ソロの受け渡しのタイミングは目配せで合図しているが、
私とデンさんの間にはそれさえもいらなかった。
昨年秋には来年は久しぶりに道内ツアーをしましょうと話し楽しみにしていたが、
今年はたされた再会は北大病院の病室での2日間だった。
今月31日から逆瀬川氏と追悼公演で札幌に向かう。
そして今、追悼アルバムのマスタリングをしている。
2006年にご一緒した札幌でのライブ演奏。
時間は止まり寡黙だが柔らかな人柄とやさしい笑顔は永遠のものになった
デンさんという愛称でで親しまれてきた中川氏とは、
共演者であると共に共通の趣味でもあった鱒釣りでも多くの時間を共有させていただいた。
誰もが避けては通れぬこととは言え、
享年57才というのはあまりに早く喪失感は限りなく大きい。
1994年にタブラ奏者の逆瀬川氏に紹介され初めて北海道を訪れて以来、
毎年のように共演と釣行をご一緒してきた。
最初の川は札幌近郊のラルマナイ川だった。
クマ出没注意の看板のあるところでの釣りもインパクトがあったが、
譲られた川に降りてすぐの好ポイントからいきなり飛び出した40センチを越えるニジマスは
更にインパクト大だった。
それ以来今では想像出来ないほどの魚影が濃かったピリカダムや
デンさんのホームグランドになった支笏湖、
幻想的だった頃のチミケップ湖、そして猿払でのイトウ釣り。
野生そのものの大自然の空気の中で共に驚愕し喜びを分かち合ううちに
神経は研ぎ澄まされていき、
言葉でのコミュニケーション以上の意志の疎通を感じるようになり、
それは共演していく中でお互いに確かなものとして実感していった。
そういう感覚について二人でよく話し合ったものだ
即興演奏をつき詰める古典の演奏で
ソロの受け渡しのタイミングは目配せで合図しているが、
私とデンさんの間にはそれさえもいらなかった。
昨年秋には来年は久しぶりに道内ツアーをしましょうと話し楽しみにしていたが、
今年はたされた再会は北大病院の病室での2日間だった。
今月31日から逆瀬川氏と追悼公演で札幌に向かう。
そして今、追悼アルバムのマスタリングをしている。
2006年にご一緒した札幌でのライブ演奏。
時間は止まり寡黙だが柔らかな人柄とやさしい笑顔は永遠のものになった