2019/03/31
2019/03/29
2019/03/28
2019/03/25
春を彩る
振れ幅の大きな三寒四温の繰り返しを経て色々な花が咲き始めた。
日本もやっと春のRaagの出番だ。
実はこれが曲者で、インドの春と日本の春の雰囲気の違いが悩みの種になる。
その季節を受け止めた心模様のようなものは同一だが、春に自分を取り巻く気候・環境、季節感が全然違う。
つまり心模様は、冬が去って心ウキウキする。
季節の進行と共に不安定感が加わる。
ほとんどをコルカタで過ごした私にとって、春のRaagが喚起するのは、先ず初夏の陽気が大きい。
なので春のRaagの多くは、どちらかと言うと5月に弾くことが多く、逆に4月に弾く春のRaagは限られている。
このあたりは説明が難しく、同感出来る人には手に取るように感じてもらえる感覚かもしれない。
かなり主観が影響を与えているが、暮らす地域が変われば随分と違うだろう。
木の芽立ち、夏日から真夏日。
日本でも丁度この時期に、空気の重さが変わってくる。
そして一瞬 空気の匂いが変わったりする。
やっぱり春はめまぐるしい。
日本もやっと春のRaagの出番だ。
実はこれが曲者で、インドの春と日本の春の雰囲気の違いが悩みの種になる。
その季節を受け止めた心模様のようなものは同一だが、春に自分を取り巻く気候・環境、季節感が全然違う。
つまり心模様は、冬が去って心ウキウキする。
季節の進行と共に不安定感が加わる。
ほとんどをコルカタで過ごした私にとって、春のRaagが喚起するのは、先ず初夏の陽気が大きい。
なので春のRaagの多くは、どちらかと言うと5月に弾くことが多く、逆に4月に弾く春のRaagは限られている。
このあたりは説明が難しく、同感出来る人には手に取るように感じてもらえる感覚かもしれない。
かなり主観が影響を与えているが、暮らす地域が変われば随分と違うだろう。
木の芽立ち、夏日から真夏日。
日本でも丁度この時期に、空気の重さが変わってくる。
そして一瞬 空気の匂いが変わったりする。
やっぱり春はめまぐるしい。
2019/03/24
懐かしい街
今回のコルカタ滞在では、久しぶりにシアルダーエリアを散策することが出来た。
30年余り前の景色。
当時はカルカッタで何か用事を済ます為には、先ず電車でシアルダー駅まで出て、そこからさらに目的地を目指すのがコースだった。
今のようにいつでもタクシーがつかまえられない時の話だ。
それでも当時はトラムの路線も今よりずっと多く、それなりに便利な足だった。
今は便利になった反面、カルカッタの濃縮された液体のような、あの時の空気は感じることは出来ない。
シアルダー駅は私にとって不思議世界への入り口だった。
一旦咲くと同じ花が数日間をかけて、水色からピンクになり、最後はオレンジに色が変わっていく、不思議なバラの苗が売っていた植木市が立ったり。
近くの電気店街にSAYONARA ELECTRONICという看板を掲げた電器屋さんがあったり、フィルムカメラを普段持ち歩かなかったので、記憶の中にしか息づいていない風景は個性的でスパイシーだ。
なぜフィルムカメラを持ち歩かなかったかと言うと、街でカメラを取り出すと2重3重と取り囲まれ、記念撮影をするハメに陥り、その後その全員から住所を渡されたりするし。
写真を撮ろうとすると、着替えて来るからちょっと待っててくれと、なんとものんびりさせられたりもしたので、面倒になりカメラを持ち歩かなくなった。
もしもカメラに気づかれずに、あの時の光景を切りとることが出来たなら、すごく面白い写真になっていたと思う。
当時は紙焼きの時代で、今のようなデータの時代ではなかった。
記憶の中の素敵な景色や笑える光景は、もう記憶の中にしか存在しない。
ただ変わらない風景も少しは残っていることは、 今回の嬉しい収穫だったかもしれない。
30年余り前の景色。
当時はカルカッタで何か用事を済ます為には、先ず電車でシアルダー駅まで出て、そこからさらに目的地を目指すのがコースだった。
今のようにいつでもタクシーがつかまえられない時の話だ。
それでも当時はトラムの路線も今よりずっと多く、それなりに便利な足だった。
今は便利になった反面、カルカッタの濃縮された液体のような、あの時の空気は感じることは出来ない。
シアルダー駅は私にとって不思議世界への入り口だった。
一旦咲くと同じ花が数日間をかけて、水色からピンクになり、最後はオレンジに色が変わっていく、不思議なバラの苗が売っていた植木市が立ったり。
近くの電気店街にSAYONARA ELECTRONICという看板を掲げた電器屋さんがあったり、フィルムカメラを普段持ち歩かなかったので、記憶の中にしか息づいていない風景は個性的でスパイシーだ。
なぜフィルムカメラを持ち歩かなかったかと言うと、街でカメラを取り出すと2重3重と取り囲まれ、記念撮影をするハメに陥り、その後その全員から住所を渡されたりするし。
写真を撮ろうとすると、着替えて来るからちょっと待っててくれと、なんとものんびりさせられたりもしたので、面倒になりカメラを持ち歩かなくなった。
もしもカメラに気づかれずに、あの時の光景を切りとることが出来たなら、すごく面白い写真になっていたと思う。
当時は紙焼きの時代で、今のようなデータの時代ではなかった。
記憶の中の素敵な景色や笑える光景は、もう記憶の中にしか存在しない。
ただ変わらない風景も少しは残っていることは、 今回の嬉しい収穫だったかもしれない。
2019/03/22
2019/03/21
2019/03/20
5月 KOLKATA ROLL
KOLKATA ROLL 3夜!
京都 越前 福井
KOLKATA ROLL LIVE 2019 初夏
山田晴三/Bass
中村岳/Percussion
井上憲司/Zitar
GUEST
久家菜々子/Flute
予約・問合わせ
KOLKATA ROLL
http://kenjiinoue.com
info@kenjiinoue.com
●5/23(木)
19:00open19:30start
料金:¥3,500(1drink付)1food別途要
会場:モダンタイムス
http://mtimes.jp
京都市中京区木屋町三条上がるエンパイヤビルB1
TEL075-212-8385
●5/26(日)
13:30open14:00start
料金:¥3000(+別途1drink)
会場:Rag Time Classics
http://ragtime.maplemix.com
福井県越前市幸町4-7
TEL0778-21-3791
●5/27(月)
Asobi-gokoro/opening act
19:00open19:30start
料金:¥3000(+別途1drink)
会場:Bar Jake
https://www.facebook.com/BAR.Jake/
福井市順化1-10-9ドリームタウン2F
TEL090-4167-2735
京都 越前 福井
KOLKATA ROLL LIVE 2019 初夏
山田晴三/Bass
中村岳/Percussion
井上憲司/Zitar
GUEST
久家菜々子/Flute
予約・問合わせ
KOLKATA ROLL
http://kenjiinoue.com
info@kenjiinoue.com
●5/23(木)
19:00open19:30start
料金:¥3,500(1drink付)1food別途要
会場:モダンタイムス
http://mtimes.jp
京都市中京区木屋町三条上がるエンパイヤビルB1
TEL075-212-8385
●5/26(日)
13:30open14:00start
料金:¥3000(+別途1drink)
会場:Rag Time Classics
http://ragtime.maplemix.com
福井県越前市幸町4-7
TEL0778-21-3791
●5/27(月)
Asobi-gokoro/opening act
19:00open19:30start
料金:¥3000(+別途1drink)
会場:Bar Jake
https://www.facebook.com/BAR.Jake/
福井市順化1-10-9ドリームタウン2F
TEL090-4167-2735
2019/03/18
新シーズン
ヴェータンタ協会での演奏で、個人的な新年度・新シーズンがスタートした。
この1年間は1日一生の思いで過ごしてきたが、こうして新しいシーズンを迎えると、1年という単位が意識される。
一昨年に比べれば昨年は地味かと思っていたが、振り返ってみると腋の下への転移・再発や心膜炎になって救急車で運ばれ入院したりと、かなり波瀾に富んだ1年だった。
キートルーダの投与を再開してからまもなく1年になり、そういう意味ではキートルーダとの1年とも言える。
転移した腋の下の腫瘍は、再開後2回目の投与で消え、それ以降腫瘍に関しては平穏な日々だ。
そのような状況下で様子を見ながら少しずつ活動を進めてこられたことは、この上なく幸せな1年だった。
今年に入ってからは体調もかなり回復したので、今後は以前のように動いていけそうな気がしている。
それは、にわかには信じ難い幸せな時間の連続で、与えられている時間は奇跡の連続のように感じている。
復帰後から私の体調を見守るように、活動をサポートしてきてくれた、主催者やスタッフの皆さん、そして励ますようにブッキングしてきてくれた、共演者の皆さんに改めて感謝します。
そして 復帰後に皆さまからいただいたご感想などのお言葉、きのヴェータンタ協会のスワミ・メダーサナンダ師からいただいた言葉を宝に、今後の時間を過ごしていきたいと思います。
この1年間は1日一生の思いで過ごしてきたが、こうして新しいシーズンを迎えると、1年という単位が意識される。
一昨年に比べれば昨年は地味かと思っていたが、振り返ってみると腋の下への転移・再発や心膜炎になって救急車で運ばれ入院したりと、かなり波瀾に富んだ1年だった。
キートルーダの投与を再開してからまもなく1年になり、そういう意味ではキートルーダとの1年とも言える。
転移した腋の下の腫瘍は、再開後2回目の投与で消え、それ以降腫瘍に関しては平穏な日々だ。
そのような状況下で様子を見ながら少しずつ活動を進めてこられたことは、この上なく幸せな1年だった。
今年に入ってからは体調もかなり回復したので、今後は以前のように動いていけそうな気がしている。
それは、にわかには信じ難い幸せな時間の連続で、与えられている時間は奇跡の連続のように感じている。
復帰後から私の体調を見守るように、活動をサポートしてきてくれた、主催者やスタッフの皆さん、そして励ますようにブッキングしてきてくれた、共演者の皆さんに改めて感謝します。
そして 復帰後に皆さまからいただいたご感想などのお言葉、きのヴェータンタ協会のスワミ・メダーサナンダ師からいただいた言葉を宝に、今後の時間を過ごしていきたいと思います。
2019/03/15
2019/03/13
2019/03/11
2019/03/10
2019/03/09
茶について
季節感を感じとり愛でる方法は色々あるが、中でも味覚には走り・旬・名残りと順序がある上に、走りと名残りの出会いものなんて、まさに醍醐味そのもの。
食材からも季節感を感じられる上に、それぞれの季節の食材が豊富にある日本は、幸せな環境だと最近つくづく思うようになった。
そして様々なことを美と結びつける日本の文化に、改めて敬意を感じる昨今。
今回のインド滞在中に毎日のグルジーとの会話の中で、ラビンドラナート・タゴールが日本に滞在した時に茶会に招かれ、茶の湯の世界観・精神性に触れて、日本人の美に対する献身的な姿勢に強く心打たれたという逸話が印象に残っている。
タゴール曰く日本人は世界中で最も美に対して忠実で、最も美を理解する民族であると評した。
確かに中国からもたらされた茶は、今や世界中に広まり様々なお茶が楽しまれているが、茶を美の世界まで引き上げたのは日本独自の文化と言っても過言ではない。
煎茶道の形だけは中国に逆輸出したが、世界観や精神性は伴っていない。
ラビンドラナート・タゴールと親交が深かった、岡倉天心は著者「茶の本」の中で、利休の最期の茶会の様子を紹介している。
利休は茶会の最後に客達に形見分けをし、茶を皆が飲んだ後で自らも茶を飲み、その器だけは人には渡さず「不幸の人のくちびるによって不浄になった器はけっして再び人間には使用させない。」と言ってその器をなげうって粉砕したと記している。
インドでは一度人が使用したチャイの素焼きの器は、全て不浄なものとしてなげうって粉砕する。
食事の皿はバナナの葉を使用し使い棄てる。
人が使用したものは、その人が幸か不幸かは関係なく全て不浄のものと考えるからだ。
そしてそれは自然に還る素材を使った究極の使い棄て文化だが、今ではステンレスの皿やプラスチックのコップなどの出現で事情が変わってきている。
チャイに使われる素焼きの器は脆く儚げで、それこそ寂の極致のような器で、持ち帰りたい衝動に駆られるが、持ち帰っても破れてしまったり、大抵使いものにはならない。
一時期はプラスチックのコップに押されて、あまり見かけなかった素焼きの器だが、最近はまた見直されているように思う。
この寂た素焼きの器で飲むチャイにも、私はささやかな美を感じている。
食材からも季節感を感じられる上に、それぞれの季節の食材が豊富にある日本は、幸せな環境だと最近つくづく思うようになった。
そして様々なことを美と結びつける日本の文化に、改めて敬意を感じる昨今。
今回のインド滞在中に毎日のグルジーとの会話の中で、ラビンドラナート・タゴールが日本に滞在した時に茶会に招かれ、茶の湯の世界観・精神性に触れて、日本人の美に対する献身的な姿勢に強く心打たれたという逸話が印象に残っている。
タゴール曰く日本人は世界中で最も美に対して忠実で、最も美を理解する民族であると評した。
確かに中国からもたらされた茶は、今や世界中に広まり様々なお茶が楽しまれているが、茶を美の世界まで引き上げたのは日本独自の文化と言っても過言ではない。
煎茶道の形だけは中国に逆輸出したが、世界観や精神性は伴っていない。
ラビンドラナート・タゴールと親交が深かった、岡倉天心は著者「茶の本」の中で、利休の最期の茶会の様子を紹介している。
利休は茶会の最後に客達に形見分けをし、茶を皆が飲んだ後で自らも茶を飲み、その器だけは人には渡さず「不幸の人のくちびるによって不浄になった器はけっして再び人間には使用させない。」と言ってその器をなげうって粉砕したと記している。
インドでは一度人が使用したチャイの素焼きの器は、全て不浄なものとしてなげうって粉砕する。
食事の皿はバナナの葉を使用し使い棄てる。
人が使用したものは、その人が幸か不幸かは関係なく全て不浄のものと考えるからだ。
そしてそれは自然に還る素材を使った究極の使い棄て文化だが、今ではステンレスの皿やプラスチックのコップなどの出現で事情が変わってきている。
チャイに使われる素焼きの器は脆く儚げで、それこそ寂の極致のような器で、持ち帰りたい衝動に駆られるが、持ち帰っても破れてしまったり、大抵使いものにはならない。
一時期はプラスチックのコップに押されて、あまり見かけなかった素焼きの器だが、最近はまた見直されているように思う。
この寂た素焼きの器で飲むチャイにも、私はささやかな美を感じている。
2019/03/07
3月17日
日本ヴェータンタ協会のシュリ・ラーマクリシュナ・デーヴァの生誕祭で弾きます。
以前はよく弾かせていただいていましたが、しばらく日程の調整がつかなかったり、最近は病気をしたりと、今回久しぶりの参加です。
数多くの聖人を輩出しているインドですが、シュリ・ラーマクリシュナ・デーヴァは特に多くのベンガル人から信仰され、コルカタ近郊のベルーにその本部があります。
私も一度ベルーを訪れたことがありますが、その場所特有の平安な雰囲気に感銘を受けました。
そしてそこで1人の男があげた、祈りとも詠唱ともとれる声に、とても感動したことが思い出されます。
私はその時あまりに心をうたれたので、彼に「今の唄は何だったのですか?」と訊いたところ、彼は無言で私の胸を二度三度強くノックした。
無言だったのは言葉を話せなかったのか?
それとも言葉は無用というメッセージだったのか?
そして私の胸をノックした彼の手はハンセン病によって指が失われていた。
あれはインドで体験したことの中でも特に印象に残った出来事だった。
以前はよく弾かせていただいていましたが、しばらく日程の調整がつかなかったり、最近は病気をしたりと、今回久しぶりの参加です。
数多くの聖人を輩出しているインドですが、シュリ・ラーマクリシュナ・デーヴァは特に多くのベンガル人から信仰され、コルカタ近郊のベルーにその本部があります。
私も一度ベルーを訪れたことがありますが、その場所特有の平安な雰囲気に感銘を受けました。
そしてそこで1人の男があげた、祈りとも詠唱ともとれる声に、とても感動したことが思い出されます。
私はその時あまりに心をうたれたので、彼に「今の唄は何だったのですか?」と訊いたところ、彼は無言で私の胸を二度三度強くノックした。
無言だったのは言葉を話せなかったのか?
それとも言葉は無用というメッセージだったのか?
そして私の胸をノックした彼の手はハンセン病によって指が失われていた。
あれはインドで体験したことの中でも特に印象に残った出来事だった。
2019/03/06
2019/03/05
2019/03/04
2019/03/03
2019/03/02
2019/03/01
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