2012/04/29
2012/04/28
2012/04/27
2012/04/26
2012/04/25
2012/04/24
2012/04/22
Sitar(シタール)について ブリッジ編 3
ブリッジはジュワリ調整する度に薄くなり、ブリッジ自体も軽くなっていく。
ブリッジが軽くなると不思議と薄っぺらい音になってしまうので重りを足す。
昔の5ルピー硬貨を貼り付け応急的に処置もできるが、
ブリッジの形状、駒の部分に平面がない場合は、
ブリッジの表面に貼ることになり見栄えが悪い。
そこで釣りで時々使っているタングステンのウエイトを使ってみることにした。
これは粘土状のタングステンでフライを強い流れの中で沈めたい時に重宝している。
とても重いので少量でこの重さ。
このブリッジは完成当時52グラムあったが、
今回インドで調整した後で計ってみると36グラムになっていたので、
ウエイトを14グラム足してみることにした。
ウエイトを裏に貼り付けて51グラムになった。
このブリッジは特に音色が気に入っていたので、
これで元の音色に戻れば言うことない。
これから時期を見て試してみることにする。
2012/04/21
2012/04/19
2012/04/18
2012/04/15
2012/04/14
2012/04/12
ナマステ
インドの挨拶は「こんにちは」も「さよなら」も「ナマステ」と紹介されているが、日常の生活で「ナマステ」という言葉を使うことは無い。
「ナマステ」「ナマスカール」はベンガルでは「ノモシュカール」というが、使う場面はかなりフォーマルな場面、例えばコンサートなど大勢を前にした時に使う位だ。
ベンガルで「ご機嫌いかがですか?」に相当するのは「アプニ キャモン アチェン?」と言うが、普段使うとすれば「キャモン?」と「いかが?」だけを使う。
また「キ カヴォール?」、「何かあった?」というのがコミュニケーションの糸口としてよく使われる。
「キ カヴォール?」を直訳すると「ニュースは何?」だが、いろいろ省いていきなり核心に迫るのが挨拶というのはいかにもインドらしい。
朝、「グッド モーニング」と挨拶するのは相手が目上の人の場合のみだし、「モーニング」と挨拶するのもちょっとよそよそしい。
考えてみれば「いい朝」や「朝」と挨拶するのもちょっと変かもしれない。
誰が考えたって朝なのに何で朝を確認し合わなくてはならないんだ?
私達日本人は核心に至るまでには時間がかかる。
夜にお酒を飲むまでの時間が必要な場合さえある。
空気を読んで欲しいなどとは最初から無理な話だ。
日本人以外の人にとっては空気は読むものではない。
「ナマステ」「ナマスカール」はベンガルでは「ノモシュカール」というが、使う場面はかなりフォーマルな場面、例えばコンサートなど大勢を前にした時に使う位だ。
ベンガルで「ご機嫌いかがですか?」に相当するのは「アプニ キャモン アチェン?」と言うが、普段使うとすれば「キャモン?」と「いかが?」だけを使う。
また「キ カヴォール?」、「何かあった?」というのがコミュニケーションの糸口としてよく使われる。
「キ カヴォール?」を直訳すると「ニュースは何?」だが、いろいろ省いていきなり核心に迫るのが挨拶というのはいかにもインドらしい。
朝、「グッド モーニング」と挨拶するのは相手が目上の人の場合のみだし、「モーニング」と挨拶するのもちょっとよそよそしい。
考えてみれば「いい朝」や「朝」と挨拶するのもちょっと変かもしれない。
誰が考えたって朝なのに何で朝を確認し合わなくてはならないんだ?
私達日本人は核心に至るまでには時間がかかる。
夜にお酒を飲むまでの時間が必要な場合さえある。
空気を読んで欲しいなどとは最初から無理な話だ。
日本人以外の人にとっては空気は読むものではない。
2012/04/10
2012/04/09
すっきり
ここ数日整理していたコンポジションのデータの中で、
最も数が多くなおかつ保存状態も良かったのは、
Ustad Kukub Khanによるコンポジションだった。
Rag Kukub Bilawalを創造した音楽家ということは知っていたが、
どのような経歴の音楽家なのか全く知らなかった。
ネットで検索しても全くヒットしなかったので思いつく本を引っ張り出して探してみたが、
どの系図にも出ておらず疑問は膨らむばかりだった。
そして最後に開いた本、Allyn Miner著「Sitar and Sarod in the 18th and 19th Centuries」でやっと見つけることが出来た。
それによると数々の伝説を残したOudの王 Wajit Ali Shah の宮廷に仕えたことのある、
Ustad Basat Khan の弟子 Ustad Na'matullah Khan の息子であることがわかった。
Ustad Basat Khan は楽聖 Tan Sen の血筋を受け継ぐSarod奏者で、
1858〜1869年までイギリスによってOudからCalcuttaに移送された、
Wajit Ali Shahに仕えていたという。
Kukub Khanの本名はAsadullah Khanというらしい。
読み進むうちに面白いエピソードが出てきた。
1908年Kukub KhanはMotilal Nehruによってイギリスとフランスに招かれた。
Motilal Nehruはインド初代首相になるJawaharlal Nehruの父。
その演奏旅行中に彼のサロードは壊れてしまった。
そこで彼はバンジョーを買い求めフレットを外し、
指板に金属プレートを貼りサロードのように演奏しパリでのコンサートを成功させた。
並外れた執念と言うべきか?
それとも驚くべき柔軟な頭脳の持ち主だったと言うべきか?
今、妙な親近感を感じながらコンポジションの譜面を読んでいる。
勿論そのバンジョーはインドへ持ち帰りいくつかのレコーディングでも使用したらしい。
ところで
Rag Kukub Bilawalはバンジョーで作ったのだろうか?
最も数が多くなおかつ保存状態も良かったのは、
Ustad Kukub Khanによるコンポジションだった。
Rag Kukub Bilawalを創造した音楽家ということは知っていたが、
どのような経歴の音楽家なのか全く知らなかった。
ネットで検索しても全くヒットしなかったので思いつく本を引っ張り出して探してみたが、
どの系図にも出ておらず疑問は膨らむばかりだった。
そして最後に開いた本、Allyn Miner著「Sitar and Sarod in the 18th and 19th Centuries」でやっと見つけることが出来た。
それによると数々の伝説を残したOudの王 Wajit Ali Shah の宮廷に仕えたことのある、
Ustad Basat Khan の弟子 Ustad Na'matullah Khan の息子であることがわかった。
Ustad Basat Khan は楽聖 Tan Sen の血筋を受け継ぐSarod奏者で、
1858〜1869年までイギリスによってOudからCalcuttaに移送された、
Wajit Ali Shahに仕えていたという。
Kukub Khanの本名はAsadullah Khanというらしい。
読み進むうちに面白いエピソードが出てきた。
1908年Kukub KhanはMotilal Nehruによってイギリスとフランスに招かれた。
Motilal Nehruはインド初代首相になるJawaharlal Nehruの父。
その演奏旅行中に彼のサロードは壊れてしまった。
そこで彼はバンジョーを買い求めフレットを外し、
指板に金属プレートを貼りサロードのように演奏しパリでのコンサートを成功させた。
並外れた執念と言うべきか?
それとも驚くべき柔軟な頭脳の持ち主だったと言うべきか?
今、妙な親近感を感じながらコンポジションの譜面を読んでいる。
勿論そのバンジョーはインドへ持ち帰りいくつかのレコーディングでも使用したらしい。
ところで
Rag Kukub Bilawalはバンジョーで作ったのだろうか?
2012/04/07
暗唱
バラモン教の聖典ヴェーダは口伝による暗唱で伝えられてきたとい
う。
発生がBC10~BC5世紀で、 最初に文字に表されたのが14世紀頃のことらしい。
その間ずっと口伝だったというのは驚くべきことだが、 何故かと考えてみるとやはり書き換えによる改ざんを防ぐ狙いだっ たのではないかと最近思うようになった。
日本で暗唱というと稗田の阿礼の暗唱を書き写した最古の書 古事記 が思い浮かぶ。
口伝の暗唱を第三者が変えるのは物理的に不可能だが、 書き残したものはたやすい。
まして改ざんしたもの以外を焼き捨てることが出来れば簡単に変え られる。
暗唱の不利な点は伝える縁が途切れてしまう可能性と忘却だ。
口伝が伝統のインド音楽では記譜法もあまり発達せず、 最も大切な音のタッチは譜面から読みとることは出来ない。
簡単に録音出来るようになった現代の私達は、 かつての伝統を受け継いできた先達よりも退化しているのは否めな いが、 テクノロジーの進歩をなんとか利点に出来る方向を模索する日々を 送っている。
書き残されたものを時を経て読むこともやはり一つの縁だと思う。
発生がBC10~BC5世紀で、
その間ずっと口伝だったというのは驚くべきことだが、
日本で暗唱というと稗田の阿礼の暗唱を書き写した最古の書 古事記 が思い浮かぶ。
口伝の暗唱を第三者が変えるのは物理的に不可能だが、
まして改ざんしたもの以外を焼き捨てることが出来れば簡単に変え
暗唱の不利な点は伝える縁が途切れてしまう可能性と忘却だ。
口伝が伝統のインド音楽では記譜法もあまり発達せず、
簡単に録音出来るようになった現代の私達は、
書き残されたものを時を経て読むこともやはり一つの縁だと思う。
2012/04/04
解読?
時間を見つけては今回インドでスキャニングしたデータを整理している。
数百ページに及ぶそのデータは、約70年前にリサーチ・コレクションされた、歴史的音楽家達のコンポジションが主で、手書きコピーされたものだ。
手書きのベンガル語は最初暗号のように難解だったが、読み進むうちに書いた人の癖が分かってきたところだ。
内容は珠玉のコンポジションばかりだが、それよりもコピーのない時代に手書きで写していったコレクターの執念に脱帽している。
作業はiPhoneのアプリでスキャニングするのとは訳が違う。
ノートの一つには1944年4月1日と日付が記されている。
まだインド独立前のことだ。
中には虫喰いでダメージを受けたページもあるが、自分が勉強している音楽のルーツの「SENI RAMPUR GHARANA」の音楽家達のコンポジションは発見の連続で、思わず夜更かししてしまう。
数百ページに及ぶそのデータは、約70年前にリサーチ・コレクションされた、歴史的音楽家達のコンポジションが主で、手書きコピーされたものだ。
手書きのベンガル語は最初暗号のように難解だったが、読み進むうちに書いた人の癖が分かってきたところだ。
内容は珠玉のコンポジションばかりだが、それよりもコピーのない時代に手書きで写していったコレクターの執念に脱帽している。
作業はiPhoneのアプリでスキャニングするのとは訳が違う。
ノートの一つには1944年4月1日と日付が記されている。
まだインド独立前のことだ。
中には虫喰いでダメージを受けたページもあるが、自分が勉強している音楽のルーツの「SENI RAMPUR GHARANA」の音楽家達のコンポジションは発見の連続で、思わず夜更かししてしまう。
2012/04/03
2012/04/02
アノクタラサンミャクサンボダイ
私の世代はインドで修行していると言うと、レインボーマンにでもなるつもり?師匠はダイバダッタさん?とよく返された。
長いこと再放送がないので子供の頃にレインボーマンを見た限られた世代の人だ。
昔、夜中に再放送されていたのを見たことがあるが、放送禁止用語の ピー が多かった。
今はケーブルテレビでもやっていないようだ。
レインボーマンが戦う悪の組織は「死ね死ね団」だった。
テーマ曲が
インドの山奥で 修行をして ダイバダッタの魂宿し ・・・・
で始まるキャッチーな歌だったので見た人には刷り込まれている。
変身の呪文?が
アノクタラサンミャクサンボダイ
を2回か3回繰り返したと思う。
子供には意味不明の言葉だ。
後に般若心経を知った時には、これだったのかと腑に落ちた。
阿耨多羅三藐三菩提。
私の世代の僧侶の方にも刷り込まれているはずだと思っていたら、僧侶の知り合いが盛り上がっている世代がいると教えてくれた。
気になるのは繰り返しが2回だったか?3回だったか?
3回なら、よりインドっぽいなと思う。
般若心経はオリジナルのマントラを玄奘三蔵が漢字であて字したということなので、インドで友人に「アノクタラサンミャクサンボダイの意味分かる?」と聞いてみたら、「分からないけどインドっぽいね。」と言われた。
私の発音が悪かったか?
長いこと再放送がないので子供の頃にレインボーマンを見た限られた世代の人だ。
昔、夜中に再放送されていたのを見たことがあるが、放送禁止用語の ピー が多かった。
今はケーブルテレビでもやっていないようだ。
レインボーマンが戦う悪の組織は「死ね死ね団」だった。
テーマ曲が
インドの山奥で 修行をして ダイバダッタの魂宿し ・・・・
で始まるキャッチーな歌だったので見た人には刷り込まれている。
変身の呪文?が
アノクタラサンミャクサンボダイ
を2回か3回繰り返したと思う。
子供には意味不明の言葉だ。
後に般若心経を知った時には、これだったのかと腑に落ちた。
阿耨多羅三藐三菩提。
私の世代の僧侶の方にも刷り込まれているはずだと思っていたら、僧侶の知り合いが盛り上がっている世代がいると教えてくれた。
気になるのは繰り返しが2回だったか?3回だったか?
3回なら、よりインドっぽいなと思う。
般若心経はオリジナルのマントラを玄奘三蔵が漢字であて字したということなので、インドで友人に「アノクタラサンミャクサンボダイの意味分かる?」と聞いてみたら、「分からないけどインドっぽいね。」と言われた。
私の発音が悪かったか?
登録:
投稿 (Atom)