明けましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願いいたします
2021/01/01
2019/08/08
かなり驚いたこと
美味しいお茶を飲みたい、美味しい出汁をひきたいと、京都のお気に入りの湧き水を汲んできた。
水の味や硬さの違いについては感じていたが、実際に比べるチャンスがなかったので、どのように、どのくらい違うのかわからないまま、腑に落ちない状態が続いていた。
いつも買っていた昆布と鰹節を買いに行き出汁をひいても、記憶の出汁の味にならず、ただただおかしいと首をひねるばかり、腕が落ちたと思うばかりだった。
もし腸閉塞手術後の3カ月間の点滴と水だけの日々、ミネラルウォーターの利き水が出来た頃ならば、この味の違いをクリアに説明出来たと思う。
それから2年の間に、今年の春までの味覚が飛んでいた14ヵ月を経て今があるので、かなり大真面目にこういう酔狂なことをしようと思った。
実際に比べてみたらもうまるで違うので驚くばかり。
神奈川に戻って20年足らずの間に慣れた分量の昆布と鰹節を使うと、昆布や鰹節の風味や旨みがドッカーンと口の中ではじけた。
緑茶も紅茶も烏龍茶もコーヒーも、ハイビジョンから4Kに変わったみたいになった。
一番驚いたのは米の炊き上がりで、引っ越しの時に衝撃でも加わって調子が悪くなったかなと思った炊飯器だったが、それはとんでもない誤解で、硬く芯が残ったのは水が変わったせいだというのが今になってわかった。
こういう違いを楽しんで、水を使い分けられるようになったらかなり面白いと思う。
水の味や硬さの違いについては感じていたが、実際に比べるチャンスがなかったので、どのように、どのくらい違うのかわからないまま、腑に落ちない状態が続いていた。
いつも買っていた昆布と鰹節を買いに行き出汁をひいても、記憶の出汁の味にならず、ただただおかしいと首をひねるばかり、腕が落ちたと思うばかりだった。
もし腸閉塞手術後の3カ月間の点滴と水だけの日々、ミネラルウォーターの利き水が出来た頃ならば、この味の違いをクリアに説明出来たと思う。
それから2年の間に、今年の春までの味覚が飛んでいた14ヵ月を経て今があるので、かなり大真面目にこういう酔狂なことをしようと思った。
実際に比べてみたらもうまるで違うので驚くばかり。
神奈川に戻って20年足らずの間に慣れた分量の昆布と鰹節を使うと、昆布や鰹節の風味や旨みがドッカーンと口の中ではじけた。
緑茶も紅茶も烏龍茶もコーヒーも、ハイビジョンから4Kに変わったみたいになった。
一番驚いたのは米の炊き上がりで、引っ越しの時に衝撃でも加わって調子が悪くなったかなと思った炊飯器だったが、それはとんでもない誤解で、硬く芯が残ったのは水が変わったせいだというのが今になってわかった。
こういう違いを楽しんで、水を使い分けられるようになったらかなり面白いと思う。
2019/08/05
2019/05/03
実がついた?
冬眠から目覚めたカレーリーフから花芽が出てきた。
見た感じではもう実になっているように見えるが、初めてのカレーの木なのでよくわかっていない。
いずれにせよあの美味しい実をまた食べられるかと思うと今からワクワクする。
去年はこのカレーリーフを使ってサンバル作りに励んだものの、これといったレシピにはたどり着けないうちに冬眠に入られてしまった。
今まで食べた最も印象に残っているサンバルは、コルカタのダラムタラーにあるカマラヴィラスのサンバルだった。
過去形なのは今では代替わりして店名もクリシュナヴィラスに変わり、勿論味もずいぶん変わってしまった。
あれから美味しいラッサムにはいくつか出会ったが、これというサンバルには出会えていない。
このサンバルさえあれば山のようなライスを2〜3回おかわりできる、といったようなあれに行き着けるだろうか?
先ずはこのカレーリーフのこれからの成長を見届けたいのだが・・・
見た感じではもう実になっているように見えるが、初めてのカレーの木なのでよくわかっていない。
いずれにせよあの美味しい実をまた食べられるかと思うと今からワクワクする。
去年はこのカレーリーフを使ってサンバル作りに励んだものの、これといったレシピにはたどり着けないうちに冬眠に入られてしまった。
今まで食べた最も印象に残っているサンバルは、コルカタのダラムタラーにあるカマラヴィラスのサンバルだった。
過去形なのは今では代替わりして店名もクリシュナヴィラスに変わり、勿論味もずいぶん変わってしまった。
あれから美味しいラッサムにはいくつか出会ったが、これというサンバルには出会えていない。
このサンバルさえあれば山のようなライスを2〜3回おかわりできる、といったようなあれに行き着けるだろうか?
先ずはこのカレーリーフのこれからの成長を見届けたいのだが・・・
2019/04/05
眠っていた
秋から完全停止状態だったカレーリーフの若木。
それでも時々水をあげると反応するので様子を見ていたが、最近どうやら動き始めたようだ。
昨年、東京の路地で越冬したカレーリーフの苗をいただいて、うちのベランダで料理に使いながら育て、越冬できるか見守っていた。
多分南国育ちのカレーリーフにとっては、逗子でも凍える冬だったと思う。
コリアンダーの葉(パクチー)と一緒で、カレーリーフも生の葉を使いたい。
冷凍や乾燥させたものも買えるが、やはり香りが違う。
ドネパタ(パクチーのベンガルでの呼び名)はよくインドで笑い話にするが、それは日本とあまりにも値段の差が激しいからだ。
スーパーで売られているドネパタの値段の話をすると、たいていのベンガル人はこの世の最後の様な表情になる。
それでも時々水をあげると反応するので様子を見ていたが、最近どうやら動き始めたようだ。
昨年、東京の路地で越冬したカレーリーフの苗をいただいて、うちのベランダで料理に使いながら育て、越冬できるか見守っていた。
多分南国育ちのカレーリーフにとっては、逗子でも凍える冬だったと思う。
コリアンダーの葉(パクチー)と一緒で、カレーリーフも生の葉を使いたい。
冷凍や乾燥させたものも買えるが、やはり香りが違う。
ドネパタ(パクチーのベンガルでの呼び名)はよくインドで笑い話にするが、それは日本とあまりにも値段の差が激しいからだ。
スーパーで売られているドネパタの値段の話をすると、たいていのベンガル人はこの世の最後の様な表情になる。
2019/04/04
麻婆豆腐
横浜中華街に帰化した友人によると、麻婆豆腐には店の数、調理人の数だけのレシピが存在するそうだ。
弾く者の数だけアプローチが存在する、北インドのRaag音楽に似ている。
麻婆豆腐の中にはレシピが定番化された、正宗麻婆豆腐や陳麻婆豆腐のような有名レシピも存在する。
あとは市販の麻婆豆腐の素を使ったり、レトルトのソース。
たしかに麻婆豆腐は豆板醬の種類や、唐辛子のバリエーションを考えただけでも、大変な種類になる。
激辛ブームのは別として、南米系の唐辛子を使った美味しいのもあるし。
生の青唐辛子を使った白麻婆豆腐もなかなかの絶品。
グルバイに訊いてみたら四川料理はインドでも人気だが、豆腐が一般的でないので麻婆豆腐は日本ほどの人気メニューではないようだ。
コルカタでもかつて中華街(チナバジャール)で気軽に豆腐料理も食べられたが、最近は行っていないのでどうなっているのだろう?
当時のケロシンストーブの中では特注サイズの大きさと、眼を見張る火力を巧みにあやつって作られた、豆腐の炒め物は絶品だった。
先日中華街で食べた麻婆豆腐フェアの白麻婆豆腐の辛みは、強めの一味唐辛子だった。
意外で楽しかった。
弾く者の数だけアプローチが存在する、北インドのRaag音楽に似ている。
麻婆豆腐の中にはレシピが定番化された、正宗麻婆豆腐や陳麻婆豆腐のような有名レシピも存在する。
あとは市販の麻婆豆腐の素を使ったり、レトルトのソース。
たしかに麻婆豆腐は豆板醬の種類や、唐辛子のバリエーションを考えただけでも、大変な種類になる。
激辛ブームのは別として、南米系の唐辛子を使った美味しいのもあるし。
生の青唐辛子を使った白麻婆豆腐もなかなかの絶品。
グルバイに訊いてみたら四川料理はインドでも人気だが、豆腐が一般的でないので麻婆豆腐は日本ほどの人気メニューではないようだ。
コルカタでもかつて中華街(チナバジャール)で気軽に豆腐料理も食べられたが、最近は行っていないのでどうなっているのだろう?
当時のケロシンストーブの中では特注サイズの大きさと、眼を見張る火力を巧みにあやつって作られた、豆腐の炒め物は絶品だった。
先日中華街で食べた麻婆豆腐フェアの白麻婆豆腐の辛みは、強めの一味唐辛子だった。
意外で楽しかった。
2019/03/31
2019/03/29
2019/03/28
2019/03/25
春を彩る
振れ幅の大きな三寒四温の繰り返しを経て色々な花が咲き始めた。
日本もやっと春のRaagの出番だ。
実はこれが曲者で、インドの春と日本の春の雰囲気の違いが悩みの種になる。
その季節を受け止めた心模様のようなものは同一だが、春に自分を取り巻く気候・環境、季節感が全然違う。
つまり心模様は、冬が去って心ウキウキする。
季節の進行と共に不安定感が加わる。
ほとんどをコルカタで過ごした私にとって、春のRaagが喚起するのは、先ず初夏の陽気が大きい。
なので春のRaagの多くは、どちらかと言うと5月に弾くことが多く、逆に4月に弾く春のRaagは限られている。
このあたりは説明が難しく、同感出来る人には手に取るように感じてもらえる感覚かもしれない。
かなり主観が影響を与えているが、暮らす地域が変われば随分と違うだろう。
木の芽立ち、夏日から真夏日。
日本でも丁度この時期に、空気の重さが変わってくる。
そして一瞬 空気の匂いが変わったりする。
やっぱり春はめまぐるしい。
日本もやっと春のRaagの出番だ。
実はこれが曲者で、インドの春と日本の春の雰囲気の違いが悩みの種になる。
その季節を受け止めた心模様のようなものは同一だが、春に自分を取り巻く気候・環境、季節感が全然違う。
つまり心模様は、冬が去って心ウキウキする。
季節の進行と共に不安定感が加わる。
ほとんどをコルカタで過ごした私にとって、春のRaagが喚起するのは、先ず初夏の陽気が大きい。
なので春のRaagの多くは、どちらかと言うと5月に弾くことが多く、逆に4月に弾く春のRaagは限られている。
このあたりは説明が難しく、同感出来る人には手に取るように感じてもらえる感覚かもしれない。
かなり主観が影響を与えているが、暮らす地域が変われば随分と違うだろう。
木の芽立ち、夏日から真夏日。
日本でも丁度この時期に、空気の重さが変わってくる。
そして一瞬 空気の匂いが変わったりする。
やっぱり春はめまぐるしい。
2019/03/24
2019/03/15
2019/03/13
2019/03/11
2019/03/03
2019/03/02
2019/02/27
2019/01/01
2018/08/30
Input
ギリギリに滑り込むように縄文鑑賞。
今までに発見された中では世界最古の人の痕跡に挙げられる土器などを含めて、一同に会した展覧会だったので早くから行こうと思っていたが結局最終週になってしまった。
会場には大勢が詰めかけ鑑賞には厳しい条件だったが、陳列されている作品群の迫力に集中力が刺激され全く気にならなかった。
かつて「あなたは前世では縄文土器を作っていた。」と言い切られたことがあり、前世や来世など信じたり考えたことの無い私でもさすがに気になっていた。
それは置いておくことにして実際に目の当たりにした縄文時代の作品群は、強烈なオーラを放ちながら実に饒舌に語りかけてくる。
今までいくつかの縄文土器を見てきたことはあったが、これ程の量の土器や土偶などが一同に会するとその迫力にも拍車がかかる。
ありったけの想像力を駆使して語りかけられる縄文語を理解しようと試みるが、きっと情報量の半分も受け止めることは出来ていないと思う。
土器が煮炊きに使われていたならば表面にはもっと焼け跡が残っているはずなので、やはり水瓶か水鏡に使われていたのではないかと想像する。
最近はあまり見られなくなったが、インドで飲み水は須恵器の壺に入れられていて、それはとても理にかなった貯蔵法だったし今回もそうした水瓶に似た展示品もあった。
そしてやはり火焔土器のようなものは象徴的に飾られていたか、水鏡としてやはり月などを映すのに使われていたように思えてならない。
盃に月を映したり、京都で送り火を映して飲んだりする行為は今でも行われている。
それは例えば一年間の無病息災を願ったりする呪術的又は信仰的行為で緩やかに受け継がれてきたのかもしれない。
長期に渡り各地で同じような形状の土器が作られてきたのに、ある時期を境に全く作られなくなるというのはとても不思議なことで、何かが起こったことは容易に想像出来るが、その変わり身の鮮やかさは現代にも通じる日本らしさなのかもしれない。
いずれにしてもこの国は時代を遡れば遡るほど傾いていくのがよくわかる展覧会だった。
今までに発見された中では世界最古の人の痕跡に挙げられる土器などを含めて、一同に会した展覧会だったので早くから行こうと思っていたが結局最終週になってしまった。
会場には大勢が詰めかけ鑑賞には厳しい条件だったが、陳列されている作品群の迫力に集中力が刺激され全く気にならなかった。
かつて「あなたは前世では縄文土器を作っていた。」と言い切られたことがあり、前世や来世など信じたり考えたことの無い私でもさすがに気になっていた。
それは置いておくことにして実際に目の当たりにした縄文時代の作品群は、強烈なオーラを放ちながら実に饒舌に語りかけてくる。
今までいくつかの縄文土器を見てきたことはあったが、これ程の量の土器や土偶などが一同に会するとその迫力にも拍車がかかる。
ありったけの想像力を駆使して語りかけられる縄文語を理解しようと試みるが、きっと情報量の半分も受け止めることは出来ていないと思う。
土器が煮炊きに使われていたならば表面にはもっと焼け跡が残っているはずなので、やはり水瓶か水鏡に使われていたのではないかと想像する。
最近はあまり見られなくなったが、インドで飲み水は須恵器の壺に入れられていて、それはとても理にかなった貯蔵法だったし今回もそうした水瓶に似た展示品もあった。
そしてやはり火焔土器のようなものは象徴的に飾られていたか、水鏡としてやはり月などを映すのに使われていたように思えてならない。
盃に月を映したり、京都で送り火を映して飲んだりする行為は今でも行われている。
それは例えば一年間の無病息災を願ったりする呪術的又は信仰的行為で緩やかに受け継がれてきたのかもしれない。
長期に渡り各地で同じような形状の土器が作られてきたのに、ある時期を境に全く作られなくなるというのはとても不思議なことで、何かが起こったことは容易に想像出来るが、その変わり身の鮮やかさは現代にも通じる日本らしさなのかもしれない。
いずれにしてもこの国は時代を遡れば遡るほど傾いていくのがよくわかる展覧会だった。
2017/09/10
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