2016/12/31

2016年 大晦日


今年は何か凝縮された一年でした。

多くの友人達を見送ることになった年になり、そしてこの年を今日感慨深く見送ることが出来ました。


特に後半は皆さまに支えられていることを実感させられる日々になりました。



今年一年お世話になりました。


来年もどうぞよろしくお願い申し上げます。



2016/12/29

ベジタリアン



日本でベジタリアン料理と言えば精進料理のようなかなり特別な料理になってしまうが、インドではごく当たり前にベジタリアン料理というカテゴリーが存在する。


ベジタリアン人口も多く、各地方ごとの伝統的な料理法もありバラエティー豊かだ。


日本人から見ればインド人は毎日カレーを食べているとか、インドは暑い国だから香辛料を沢山使ったカレーを食べて身体を冷やしているとか、かなり大まかな分類で片付けようとする。


インドで驚いたのは野菜など素材それぞれを身体を冷やすもの、身体を暖めるものと認識した上で食べていることだった。



季節に応じた流行り病の予防に食べる野菜もある。


最初の頃は何故常にそんなことを考えながら食べるのか理解できなかったが、インドで暮らしていくうちに過酷な自然環境とフィットして生きる上ではごく当然のことに思えるようになった。


病気をした時にはそれがより実感できた。


そして今、インド料理が存在することに心から感謝の気持ちが湧き上がっている。









2016/12/28

一進一退



放射線治療の最中に放射線科の先生からしきりに喉の痛みは無いかと聞かれていたが、その時は何の影響もなくそれが3日前から扁桃腺あたりに出た痛み。

昨日からまた痛み止めを飲み始めた。


放射線治療を始める前に聞いていたその副作用の出かたもまた千差万別ということ。



自分は全く副作用の出ないラッキーなパターンと思い込んでいたが、どっこいそうは問屋が卸してくれなかった。





暫し扁桃腺との対話のお時間を。




2016/12/27

重さ



放射線治療と共に始めた食事療法と体質改善計画。


食事療法は去年後半からのダイエットでも実践した炭水化物のカットが主で、去年と違うのはたんぱく質を植物性にほぼ限定していること。

2週間以上過ぎて慣れてきたが、体重も2kg位減った。


それよりも強く感じる身体の変化は、約1ヶ月楽器を触らずにいたことで落ちてしまった筋肉だ。


先日久しぶりに練習・リハビリをスタートした時に、まず最初に楽器がいつもよりかなり重く感じられた。


1ヶ月でこれ程まで筋力が落ちてしまったことにかなり驚いた。


弾き心地にいたっては違和感との戦いだ。





まあ焦らないことに決めたので気長にリハビリをしていくつもり。







2016/12/26

練習再開してみた



1ヶ月ぶりに楽器に触ってみた。

こんなに長期間触らなかったことは無かったので不思議な感覚。


痛み止めを飲まなくてももう大丈夫。


まだまだリハビリのような練習だがそれでも嬉しい。




放射線治療の影響は今週いっぱいがピークと聞いていたが、昨日から喉の痛みが出ている。

あと照射された患部が日焼けのような放射線焼けでヒリヒリとしみている。








しばらくはこんな日々か







2016/12/25

Merry Christmas



放射線治療を終えてから痛み止めの服用も止めてみた。


幸い痛みに襲われることはなかったが、初日の発熱とその後軽い倦怠感が残っている。


1ヶ月以上服用を続けてきたのでもっと影響が出るかと思っていたので軽く安堵。


放射線治療による味覚障害も全く見られずこれも安堵。


嬉しいクリスマスプレゼントになった。



暫く続くストイックな食生活も出来ればもう少し楽しみたい。





2016/12/21

最終日



今日は最後の放射線治療に加え採血や診察など盛りだくさん。



長く感じた延べ14日間だった。







リーチ



放射線治療9回目終了!


放射線治療は入院治療だと想像していたが、通院で行うということで最初は果てしなく長く感じていた中、何とか明日まで通いきれそうだ。


心配していた味覚もどうやら無事に済みそうで、これにはかなり安堵している。



放射線治療室ではBGMが流れているが、今日はビートルズのコピーバンドの音源だった。


お馴染みの曲を忠実に演ってはいるものの、微妙に違うところが気になっていたらあっという間に治療が終わった。


今日は特に放射線治療のみで他に何もないので早く開放された。









2016/12/20

二重人格?




まったく最近の食の嗜好の変化は病気のせいとしか思えない。


今まで全く食べてこなかったメニューを頼むのはもちろんのこと、全く興味すら湧かなかった食べ物に魅かれる。


病気が治れば元に戻るのだろうか?



当面の食べていいもの、食べてはいけないものをしっかり選択しなければと思う。


嗜好がどう変わっていくのか?楽しみでもあり戸惑ってもいる。






2016/12/17

着陣!



物資が届き徐々に癌細胞を包囲していく。


ダールがあればベジタリアンは難しくない。


それ程のバリエーションはないが、工夫・応用のレシピで何とかなる。


食事療法に関してはインドに居た方が簡単に実践できる。


ダールに加えてベンガルのトルカリがあれば、充分な量の野菜と野菜からの栄養を摂れる。



ニセベジタリアンのレシピの悩みは暫く続きそうだ。






2016/12/16

体質改善計画



今日は治療後に Khan Kebab & Biriyani で友人と会食。


ここはベジが野菜ビリヤニしかないが美味い。


長粒種のバスマティは日本米に比べ糖質も少なく感じる。


糖質を摂取してしまうのは外食なので諦めてはいるものの、とりあえず出来るだけ歩いて燃焼する方向でバランスを取ろうと試みている。


今までは超の付く不健康生活習慣だったので、少しの改善でも随分違うとは思うが、これを機会に大幅な改善を目指している。


今までサプリにも全く興味なかったが、先週からはタンパク質やビタミンなどの基礎的なものに加えて、春うこんなどの体質改善の為のサプリも摂っている。

本来なら一つ一つ試して検証するべきなのかもしれないが、私なりに勉強した上で入手しやすく摂りやすいものから始めている。



体質改善や生活習慣の改善は生き方と直接結びついているものなので、継続できるというのも大切な上、食事療法も重なると必然的に禁欲的な生き方に繋がっていく。



今まではコンビニのスイーツに目が止まることなど無かったのに、今では見るたびに心の中で悲鳴があがるので、一目散にノンアルコールビールの棚を目指している。



食事療法を卒業出来るその日、食べようと思うものは既に決まっている。





その日その時、先ずは万歳だ!






2016/12/15

5回目終了



放射線治療も5回目が終わりそれなりの効果も見られるようになった。


先ず患部を中心に拡がっていた痛みはかなり改善された。

ただ放射線をあてることによって皮膚に日焼けのような過敏な痛みはあるが、これは痛み止めが効く範囲の痛みなので随分楽になってきた。


普通に楽器を弾けるようになるのも間もなくかもしれない。





嬉しい






出汁



今日は蕎麦を食べた。

久しぶりの鰹出汁は感激だな。




















2016/12/14

そろそろ持ち駒が



今日は歌舞伎座近くのダルマサーガラのミールス。

このスタイルのベジミールスは好物だ。


まあこの半月無頓着に食べてきた猛毒に比べればと、納得して米も美味しく食べる。


治療後の帰り道に寄れるお店はあとは一見さんばかり。

銀座はインド系の老舗も多いがどこも食べたことがない。


とりあえずあと6日、このままインド料理屋漫遊記もいいが、炭水化物は現在昼食のみになっているので、いっそのこと蕎麦も解禁にするか?

田舎蕎麦の山かけなんていいかもしれない。



放射線治療のみの日は往復3時間かけて出掛けて、治療時間は約5分。

治療の待ち時間も30分以内で、帰りの道すがらどこかに寄るペースが出来ている。


築地の場外市場も最初に面白がって覗いてみたがすぐに飽きてしまった。


治療も中盤、治療の効果なのかそろそろ楽器にも触れそうな感じになってきた。


そろそろ道草を食っている場合ではなくなってきている。





意識



最初にリンパが腫れた時はすぐに腫れも退くだろうと思っていたが、やがてその腫れに目や鼻が出来て、最後には口が現れ何か喋り出すかもしれないと思うようになった。

ホラー映画の影響か?



正常な細胞と同じように癌細胞も自分自身の一部と考えると、その意識もあるかもしれないと思う。


腫れが出始めてからはどうも肉食に偏る傾向になったり、普段では考えられないスイーツに目が行き何度も食べるようになったり、癌細胞に意識を操作されているような嗜好に変化していた。


幸い目に見える患部なので治療の効果があるかないかもわかりやすい。


放射線治療5回目、今日が折り返し地点。








2016/12/13

期間限定



今まで超ニクタリアンな食生活を送ってきたが、療養生活に入って期間限定だがベジタリアンに大変身。

糖質の制限も試みているが、病院通いで外食が混ざると実に難しくなる。

和食も中華も無理、例えば精進料理や普茶料理みたいな特殊な料理は、行動範囲では望めないし、洋食もサラダ以外はNGなので、結局一般的には思いつく限りインド料理以外の選択肢はない。


インドの懐の深さを改めて感じている。


まだ駆け出しの俄かベジタリアンが街を歩くと、街には看板も匂いも悪魔の誘いに満ち溢れている。


どれも今の私には猛毒なのだと誘いを振り切る生活。



今までこんなストイックな食生活を送ったことは無い。







中井立行さん



今年 7月1日のライブの終演後に打ち上げ会場に移動して、まさに乾杯というタイミングで電話が鳴った。

それはグルバイの中井立行さんの訃報だった。

癌による63才の早過ぎる旅立ちだった。


半年間同じ釜の飯を食べ、共に切磋琢磨してきた彼の追悼文をずっと書けないうちに、自分が同じ病に冒されるというのもなんとも皮肉な状況だ。



グルジーに弟子入りした最初の半年間は彼ともう一人、タブラを勉強に来ていた樋口志郎さんと3人でフラットを借りての共同生活だった。

朝の目覚めから寝るまでの間、それぞれの部屋で練習していたが、とにかく誰よりも先に練習を始め、誰よりも遅くまで練習するというのが自分自身に課した課題だった。


今では他人と比較することなど愚かでくだらないことと思っているが、当時の若い時期の競争心のようなものが練習時間に反映させていた。


練習だけではなくコンサートにもよく出かけた。

当時のコンサートは刺激に満ちており、Ustad Ali Akbar KhanやPandit Ravi ShankarやUstad Vilayat Khanを始めとする器楽の巨匠に加え、Pandit Bhimsen JoshiやPandit Kumar gandharvaなどの声楽の巨匠のパフォーマンスが目白押しで、コンサートの帰り道にはそれぞれのパフォーマンスについて尽きることのない話題で盛り上がった。


私自身にとって最も輝かしく刺激に満ちたコンサートを共有出来た数少ない友。

最近では数年に一度会う関係だった。


中井さんには感謝以外の何物も浮かんでこない。


ありがとう



2016/12/12

すけきよ



放射線治療でピンポイントに放射線をあてるためのアタッチメント。

患部が頸部リンパ節なので頭と肩を固定される。

体にも場ミリのマークもつけられマスクの位置を確認。

初日は15分位固定され綿密な位置決めをしたが、実際の放射線の照射時間は2〜3分だった。



しかしこのマスクは私自身から型を起こしているので分身のような不思議感覚を覚える。





今日は土日を跨いで2度目の放射線治療、昨日の明け方吐き気で目覚めやはり放射線の威力は凄まじいと思い、今日担当の先生に相談したらそれは胃腸炎ですねと言われた。



2016/12/09

兵糧攻め メニュー



放射線治療の初日終了。

ベッドに固定されることに少し疲れたけれど、今日の時点ではダメージを感じていない。

味覚も正常! ほんの少しホッとした。


兵糧攻め初日、今晩はグルバイのお母さん、チョードリー夫人のレシピの野菜シチュー。

中身はビーツ・カリフラワー・人参・タマネギ・トマト・塩・コショウ。

オリーブオイルでさいの目の野菜を炒めて、水を足し塩とコショウで味を決める。

ビーツが決め手でシンプルだけど美味しかったのを思い出して作ってみた。

魅惑の赤いシチュー!


オリジナルとの違いはジャガイモを入れなかったのと、仕上げにバターやギィーを使わなかったこと。


チャパティは我慢、全粒粉とは言え糖質に変わりない。


放射線治療スタートと共に兵糧攻めもスタート。


兵糧攻めに加えてそろそろネットで注文した武器サプリも届く。


生活習慣そのものの改善はやはり大仕事だな。







Thanks



I started to be treated with radiation today.
I have to take some medical treatments,because of illness.And I am so sorry, but I cancelled all schedules. I think I will recover by next March. When I am cured completely, I will tell  you all and make my schedules.
I really must apologize for cancelling my schedules. And I really thank you all for your understanding and warm messages.

情報戦略



皆さま 沢山のアドバイスや情報をいただきありがとうございます。

短期間に私なりに学習し、今後の日々をどう暮らすかイメージトレーニング出来ました。


お寄せいただいた情報は全て熟読させていただきました。


久しぶりに大量の情報を一気に詰め込んだ気分です。




脳の中の今まで使ってこなかったエリアに保存したつもりですが・・・

そうでなければ脳の中から音楽がこぼれ落ちてしまっている。




敵に塩を送る


放射線治療前の最後に何を食べるか悩んだ末の答えは京都風の粥だった。


今の私にとっては毒だけれど、暫く厳しくなると思われる味覚への贈り物。



そして、兵糧攻めを前に敵に塩を送った気分。

生活習慣を改めなければならないという気づきをくれた感謝を込めて。







2016/12/08

大切な食事







今日は手続きなどの雑用や買い物を済ませた後で、デリーダイニングで食事をテイクアウト。

大好きな味に癒されました。



これからはシビアに食について考えようと思います。




皆様から寄せられた沢山のアドバイスや、信頼できるネット上の情報サイトなど、とても参考になっています。

ありがとうございます!


私に出来る範囲でのプロセスを実行していこうと思っています。

目標にしているのは正常な細胞には栄養を摂りながら、癌細胞に対しては冷酷な兵糧攻めです。









2016/12/06

ご報告


ライブスケジュールのキャンセルで皆様にはご心配とご迷惑をおかけして申し訳ありません。

先月受けたCT検査でリンパ腫の疑いが出たので、帰京後専門病院での検査・治療に移りました。

初期の精密検査の速報では深刻な病状は見つかっていないものの、まだ検査は続いています。

いっそのこと全身くまなくチェックしてもらい、これを機にオーバーホールいたします。


明日リンパ節への放射線治療がスタートし、これから出てくる検査結果で治療すべきところが見つかれば、治療していくことになると思います。



もう長い間その都度の演奏準備やライブに向けた練習ばかりで、じっくりと時間をかけた勉強が出来てこなかったので、今改めて勉強し直す貴重な時間を得た思いです。

勉強しなくてはならないことは山積みです。

かつての巨匠達の音楽を聴いていると、これからたとえ一瞬であっても無駄に過ごせないと痛感しています。



皆様をお待たせしてしまう分、復帰後にはきっとご納得いただけるパフォーマンスでお返しするつもりでいます。


暫しの休息どうかお許し下さい。

よろしくお願いいたします。




検査


前回に続いて検査のため病院へ。

いままで健康診断も受けてこなかったので最新検査は驚きの連続。

身体が解析されていく気分はなんとも言えない。

いままで健康でこられたことの感謝はもちろん、身体の隅々まで検査出来る現在の医療に脱帽。


凄いな








2016/12/01

アーカイブス



暫くの休養を余儀なくされたので、今までずっと気になっていながら、手をつけられなかった作業を進めることにしました。

今まで北インド音楽を勉強してきた過程で受け継いできた楽曲の数々。

私が勉強しているマイハール流派の楽曲の他に、歴史的音楽家が作曲した楽曲に興味を持ち収集保存してきました。

北インド音楽はあくまで即興音楽で、即興のベースは師から伝えられたメロディー・即興のプロセス・数学的アプローチなどを基に表現していきますが、歴史的音楽家達が遺したものもヒントにしようと考える人にとっては、必要不可欠なデータだと思います。


マイハール流派の始祖 Ustad Allauddin Khan が弟子入りした、セニア・ビーンカール流派の Ustad Mohammad Wajir Khan に脈々と続いてきた楽聖 Miyan Tansen の血脈は、その息子 Ustad Mohammad Sagir Khan 、そしてその息子の Ustad Mohammad Dabir Khan を最後に途絶えました。

Ustad Mohammad Wajir Khan は自分よりも早く若くして亡くなった Ustad Mohammad Sagir Khan の死によって、弟子であった Ustad Allauddin Khan に自らの音楽の全てを伝えたと言われています。

後に Ustad Mohammad Dabir Khan には Ustad Allauddin Khan の息子の Ustad Ali Akbar Khan がその音楽を伝えられました。

マイハール流派のマイハールスクールは多くの傑出した音楽家を生み、その中の Pandit Ajay Sinha Ray に伝えられた音楽を、直弟子であるDwijendra Mohan Banerjee氏とその息子 Sasanka Banerjee氏から私は受け継いでいます。

勉強したマイハール流派の伝統と共に伝えられた、ルーツであるセニア・ビーンカール流派の、Ustad Mohammad Wajir Khan 、 Ustad Mohammad Sagir Khan 、Ustad Mohammad Dabir Khan 三代や、多くの音楽家達のラーグの楽曲(バンデッシュ)の他、様々な歴史的楽曲を、私は今後生徒に伝えきれないのでデータベースとしてアーカイブすることにしましました。

これらのドゥルパドのバンデッシュの他に、 19世紀から20世紀にかけて活躍したサロード奏者 Ustad Kaukab Khan の興味深いバンデッシュがあり、それらも併せてデータベースにアーカイブします。

Ustad Kaukab Khan は大公 Wajit Ali Shah の宮廷楽士として仕えた Ustad Na'matullah Khan の次男で、彼の創作として Raag Kaukab Bilawal も遺されています。

彼が遺したエピソードで興味深いのは、1908年に彼が行なったヨーロッパツアーの最中にサロードが壊れてしまい、彼はパリでバンジョーを手に入れて改造、フィンガーボードにサロードのようなメタルプレートを張り付け演奏し、ツアーを続けたというエピソード。

後にインドへ帰国しそのバンジョーでレコーディングをしているという記述も残っていますが、残念ながらその音源は現在アーカイブリリースされていません。


今後準備が出来次第データベースを立ち上げていきます。

ベンガル語で読める方にはそのまま使えるデータですが、現在のベンガル語表記から英字表記に変えたり、五線譜への移行なども時間の許す限り対応していく予定です。

また原譜のノートに手書きコピーされた際の書き間違えや、ヒンディー語からベンガルへ語への訳の際の間違いなどもあるので、作業に時間がかかるものもあります。

これらは膨大な量のデータなので、英字表記への訳などご協力いただける方が居られましたら、是非ともご協力よろしくお願いいたします。


画像は Ustad Kaukab Khan ノートの最初のページ、Raag Puriya と Raag Yaman。