2012/12/31
2012/12/30
2012/12/29
2012/12/27
2012/12/26
2012/12/25
きつねカレーうどん 麺房 美よし
かつてリハーサルが終わって本番までの間に小腹を満たしに通っていたお店がリニューアルされていた。
お揚げとカレー出汁の組み合わせは最初馴染めなかったがいつしかクセになっていった。
以前はこれをアペリティフに天丼を食べて丁度小腹が満たされたが。
京都で生活を始めた頃はお蕎麦屋さんに入ってもメニュー書きが理解不能で、解ったものは天ぷらそばときつねとたぬきだけだったが、そのたぬきにさえ裏切られた時のショックはかなり大きかった。
実はいまだに理解不能のままのメニューは数多い。
自分は保守的だったのだろうか?と悩むが、おかめ や きぬがさ と言われても想像力は沈黙したままだし、木の葉 は何の葉っぱ? しっぽく に至っては何語ですか?ということになる。
お揚げとカレー出汁の組み合わせは最初馴染めなかったがいつしかクセになっていった。
以前はこれをアペリティフに天丼を食べて丁度小腹が満たされたが。
京都で生活を始めた頃はお蕎麦屋さんに入ってもメニュー書きが理解不能で、解ったものは天ぷらそばときつねとたぬきだけだったが、そのたぬきにさえ裏切られた時のショックはかなり大きかった。
実はいまだに理解不能のままのメニューは数多い。
自分は保守的だったのだろうか?と悩むが、おかめ や きぬがさ と言われても想像力は沈黙したままだし、木の葉 は何の葉っぱ? しっぽく に至っては何語ですか?ということになる。
2012/12/24
2012/12/23
2012/12/22
Yoga
インドから連想されるものに必ず入ると思うヨガだけれども、あまりにも知らずに過ごしてきた気がする。
最初にインドに長期滞在した時にルームシェアしていた友人が、交通事故の後遺症をヨガで克服していたので、ごく基本的なプロセスは彼から習った。
しかし私のヨガに対するイメージがかなり現実とずれたものだったということを昨日思い知った。
昨日イベントで演奏したシュクラ・ヨガスタジオはとても明るく開放的なスタジオだった。
場所も原宿竹下通りで集まったのはほとんどが若い女性。
ヨガとサドゥーが何となく結びついていたり、超ロン毛にふんどしみたいなビジュアルが常に先行していた私のヨガ觀は何だったのだろう?
ヨガを通じて自身と向き合うということがこのような形に昇華していたのは驚きだった。
考えてみればインド音楽がヒッピー文化と混同されていた時代があったので、独り歩きしているイメージがいかに特異に変異したものか理解できる。
かつていろいろなものが日本にやって来て爆発的変化を遂げたように、ヨガやインド音楽がより魅力的に変容していくことを期待したい。
最初にインドに長期滞在した時にルームシェアしていた友人が、交通事故の後遺症をヨガで克服していたので、ごく基本的なプロセスは彼から習った。
しかし私のヨガに対するイメージがかなり現実とずれたものだったということを昨日思い知った。
昨日イベントで演奏したシュクラ・ヨガスタジオはとても明るく開放的なスタジオだった。
場所も原宿竹下通りで集まったのはほとんどが若い女性。
ヨガとサドゥーが何となく結びついていたり、超ロン毛にふんどしみたいなビジュアルが常に先行していた私のヨガ觀は何だったのだろう?
ヨガを通じて自身と向き合うということがこのような形に昇華していたのは驚きだった。
考えてみればインド音楽がヒッピー文化と混同されていた時代があったので、独り歩きしているイメージがいかに特異に変異したものか理解できる。
かつていろいろなものが日本にやって来て爆発的変化を遂げたように、ヨガやインド音楽がより魅力的に変容していくことを期待したい。
2012/12/21
2012/12/20
2012/12/19
粉雪
今朝はほんの僅かではあったものの粉雪が舞っていた。
冬至を目前に雪を見ることが出来た。
札幌在住のダルシマー奏者、小松崎氏は「全部あげる」と言っていたが、私にとって雪はやはり儚ささえ感じる冬の情感だ。
冬の北海道は最も好きな北海道の一つだが、それは訪問者ならではの感覚なのだろう。
札幌で雪掻きを体験した時には、ただ雪を移動するのではなく、降り積もった後に硬く氷固まった雪氷を割る作業から始まり、いきなり心が折れた。
少しも儚くない雪だ。
しかし冬の北海道の部屋の暖かさと、曇りなく鳴ってくれる楽器の弾き心地の良さに驚き感激する。
究極の選択か?
何事もそう都合良くは運ばない。
でも僅かな粉雪を見たら冬の北海道へ行きたくなった。
冬至を目前に雪を見ることが出来た。
札幌在住のダルシマー奏者、小松崎氏は「全部あげる」と言っていたが、私にとって雪はやはり儚ささえ感じる冬の情感だ。
冬の北海道は最も好きな北海道の一つだが、それは訪問者ならではの感覚なのだろう。
札幌で雪掻きを体験した時には、ただ雪を移動するのではなく、降り積もった後に硬く氷固まった雪氷を割る作業から始まり、いきなり心が折れた。
少しも儚くない雪だ。
しかし冬の北海道の部屋の暖かさと、曇りなく鳴ってくれる楽器の弾き心地の良さに驚き感激する。
究極の選択か?
何事もそう都合良くは運ばない。
でも僅かな粉雪を見たら冬の北海道へ行きたくなった。
2012/12/18
2012/12/17
2012/12/14
2012/12/13
Pandit Ravi Shankar 1920-2012
そもそもインドの楽器の中でシタールが最も有名になったのは
パンディットジーの功績と言っても過言ではない。
Ravi Shankar (Robindra Shankar Chowdhury)
1920年4月7日 弁護士で学者、政治家だった
父 Shyam Shankar Chowdhury の末息子としてベナレスで生まれた。
職分制度社会のインドで音楽がその家系で受け継がれている中で、
音楽家とは違う家系から音楽家になり
なおかつインド政府から1999年 Bharat Ratna(インドの宝石)
人間国宝を授与された音楽家だった。
パンディットジーを音楽の道に導いたのは、
舞踊家として成功していた兄 Uday Shankarだった。
Uday Shankar はかつて寺院や宮廷などの閉鎖的環境でのみ踊られていたダンスを、
舞台芸術として確立させた舞踊家でインド国内のみならず、
海外でも人気を博した高名な舞踊家だった。
8才の時に兄の舞踊団に同行するようになり
パンディットジーは次第にシタールに強く惹かれていく。
パンディットジーは舞踊団のシタール奏者の師で、
当時絶大な人気シタール奏者だった Ustad Enayat Khan に弟子入りを望むが、
兄は Ustad Allauddin Khan のもとにパンディットジーを弟子入りさせる。
超スパルタ教育で知られた Ustad Allauddin Khan のもとでの修行を経て、
パンディットジーの輝かしい音楽経歴は大輪の花となり実を結んでいった。
パンディットジーはRagへの深い洞察を基に実にRagに忠実な演奏をされた。
描き出されるRagの情感は的確でそのプロセスは理知的でとても優雅。
パンディットジーというとその華麗さばかりが特筆されているが、
あれほど音楽にたいして謙虚なアプローチをする音楽家は他に類を見ない。
そのようなパンディットジーが音楽で多くの試みを行ってきた中で、
最も革新的なことはタブラ奏者に脚光を浴びさせたことだった。
それまではあくまで伴奏者の立場だったタブラ奏者に
主奏者と交互にソロをするチャンスを与え、
相乗的に音楽を高めていくという
今日当然のように行われている演奏スタイルを確立したのはパンディットジーだった。
西欧の聴衆を演奏によってあれほどまで熱狂させることが出来たのは、
Ustad Alha Rakha とのコンビネーションを突き詰めていった当然の結果と言える。
1988年 パンディットジーの日本ツアー大阪厚生年金会館での最終日、
主催者からバックステージを手伝って欲しいと依頼されたときは是非もなかった。
私に与えられた仕事はパンディットジーの楽屋係だった。
しかしそんな大役が私一人に務まるのか?
今でも私の英語は酷いものだが当時はもっと酷かったので、
色々指示されたときに対応できるか不安の方がはるかに大きかった中、
会場でパンディットジーをお迎えした。
緊張しながら最初にお茶とフルーツを楽屋に持って行くとパンディットジーは不在だった。
開演までパンディットジーは楽屋で精神集中していると聞いていたので
拍子抜けしつつホッとしたのは言うまでもない。
楽屋には誰もおらずパンディットジーのシタールが鎮座していた。
Nodhu Murik 製作のNo.4。
今ならば電話を取りだしてパチリと写真に収めてしまったと思うが、
当時のことなので穴が空くほどシタールを見た。
シタールはプージャを済ませたあとで傍らには線香も焚かれていた。
その間パンディットジーは千秋楽だったので
スタッフルームを訪れ労をねぎらわれていたというのは後で聞いた。
勿論それにはスタッフルームの全員が驚かされたそうだ。
お茶が冷めてしまったので入れなおして楽屋に持っていくと
今度はパンディットジーはリラックスされていた。
お茶をサーブして簡単に自己紹介すると
Ajay先生とはMaihar以来の親友だと仰り、真面目に練習するようにと仰られた。
短い最初の会話の間、私は一方的に緊張し息をした記憶がない。
公演の間、そして翌日ホテルからのお見送りまでは
今思えば様々な勉強の場だった。
サウンドチェックから本番が終わるまで出来うる限りのお手伝いをしたが、
今思えば気づくべき事にも気づけず何のお役にも立てなかったと思う。
それどころか逆にパンディットジーがされるお気遣いに感銘をうけるばかりで、
何よりも人々を包み込む巨大なオーラを間近にし
実に幸福な時間をプレゼントされた記憶しか残っていない。
同じ時代に生まれることができたことを改めて喜んでいます。
心よりご冥福をお祈りいたします。
2012/12/12
2012/12/11
滑川インレット
グルバイ(兄弟弟子)から膨大な音源資料をもらったが、ほぼ未整理の状態だった。
中にはRag名や演奏家名の間違いなどが多数あって、いつか整理しようとずっと放ってあった。
これでは宝の持ち腐れだと今年の春頃から整理を試みたが、あまりにもおびただしい量なのと整理に向いていない性格のせいでなかなか作業が進んでいなかった。
あまり好きではないが結局iTuneを使って夏頃から整理している中で、例によって何日分もの作業がパアになる事が何度も起こり、その度にパソコン返しをしそうになるのをぐっと堪えてきた。
昨夜も二度程パソコン返しをしそうになったが、やっと出口が見えてきた。
これで眠れない夜ともおさらば出来るか?
このまま何とか無事に終わらせたいと思っている。
お分けする約束をした方々、どうかもう少しお待ちください。
中にはRag名や演奏家名の間違いなどが多数あって、いつか整理しようとずっと放ってあった。
これでは宝の持ち腐れだと今年の春頃から整理を試みたが、あまりにもおびただしい量なのと整理に向いていない性格のせいでなかなか作業が進んでいなかった。
あまり好きではないが結局iTuneを使って夏頃から整理している中で、例によって何日分もの作業がパアになる事が何度も起こり、その度にパソコン返しをしそうになるのをぐっと堪えてきた。
昨夜も二度程パソコン返しをしそうになったが、やっと出口が見えてきた。
これで眠れない夜ともおさらば出来るか?
このまま何とか無事に終わらせたいと思っている。
お分けする約束をした方々、どうかもう少しお待ちください。
2012/12/10
2012/12/05
2012/12/04
2012/12/02
2012/12/01
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