今日は血液検査とレントゲン撮影。
前回キートルーダはストップしたので、6月以来3カ月間投与はしていない。
前回心配された間質性肺炎の自覚症状は皆無で、何日かに1度思い出したように軽い咳をする程度なので、ほとんどレントゲンやCT画像との睨めっこになる。
今日のレントゲン写真は素人の私が見ても、今までで一番綺麗と思える画像だった。
もう4年近く自分のレントゲンの画像を主治医の解説付きで見ているので、どのような状態かそれなりに判るようになってきている。
しかし考えてみるとこれ程長期のキートルーダのブランクは、手術入院の時以来のことだと思う。
入院中は医師の管理下だったので今とは微妙に感覚が違う。
今の気持ち的には丸腰で戦地に放り出されているような感覚と言ったらいいだろうか。
しかしキートルーダが次第に抜けていく中で、ずっと続いてきた胃腸の違和感や皮膚炎などの副作用が少しずつ和らいでいくのがわかる。
連続していたので普通だと思っていた体調は、実は単なる勘違いだったこともわかってきた。
次第に緩やかになっていく症状だが、やはり日によってばらつきもある。
特に胃腸の違和感を感じる時は鍼灸院に通い、日常的には自分で灸をすえている。
何冊か経絡やツボの本を買って読んでみたがなかなか面白い。
こうしてこの微妙な体調と慎重に向き合える機会は、様々な要因が重なってのことだろう。
発病当時は大勢色々な人から多くの情報やアドバイスをいただき、その中に病院での治療を拒否して徹底的な食事療法で寛解に至った記録を著した本があった。
今考えてもそれは驚くべき節制と幸運と奇跡が重なり合っての結果なのだろうと感じる。
それは癌細胞の直接的な栄養となる糖質を摂らないこと、そして良質な菜食への転換だと理解した。
しかし当時の限られた時間の中で本当に良質な野菜や玄米を探して摂り続けることは、農家の方との繋がりがない限り実際にはとても難しいことだと思った。
たしかにこの期に及んで生き物の命を奪って生き存えるのも、というような考えも当然頭に浮かんだ。
しかし言うまでもなく野菜にも命はあるわけで、植物の命さえ奪わない方法は、木の実や果実を少しだけ頂き、あとは木の樹皮など限られたものを摂るしかない。
それでは目指すところが病気の平癒ではなく即身仏になってしまう。
また医学的治療に関してもどのような些細な薬でさえ、また医学そのもの自体が多くの生き物の犠牲の上に成り立っている。
そう考えるとその時点で草食系縄文人を目指すことが、はたして正解なのか?自分らしいことなのかと悩まざるを得なかった。
それでも大勢の人からの情報やお気持ちはとてもありがたく力になり、自分に出来ることはほぼ全て試みたし、何より様々なことを考えるきっかけを与えてくれたと思う。
しかしいわゆる民間療法というものは、日々の健康法や体質の改善法であって、少なくとも末期癌の治療法に及ぶものではなかった。
そしていつかキートルーダから離れることもありえると思った昨今、今後どのような生活をしていくべきなのか考えなければならないと思う。
まさかこれほどの時間をキートルーダが与えてくれるとは思っていなかったので、2017年の終わりに弾いたコンサート以来、これが最後の演奏と思って受け続けてきたコンサートが、何と今年2月のインドツアーまで続いてしまった。
自分としても閉店セールを長く続けてしまっている妙な感覚の中で、時には体調的にキャンセルせざるを得ない公演もあり、精神的には微妙な状態だった。
もうあきません❗️ 閉店セール❗️ の看板を10年以上掲げていた大阪みなみの靴店を思い出していた。
そうした中途半端な気持ちを抱えて続けていることに疑問を感じていたところでのこのコロナ渦。
常に体調を意識しながら張りつめた緊張感の中で、何とかバランスを保ちながら演奏活動を続けできので、今回の状況の変化は、奇妙な安堵感と微妙な焦りの両方を同時にもたらすものだった。
日常生活の正解は何なのか?
前回の外来から漠然と考えるようになったが、実際のところよくわからない。
今まで全く無縁だった規則正しい生活は送っているが、食生活は決して計画的とはいえず食べたいと思ったものを食べている。
血液検査とレントゲン写真を見たところ、間質性肺炎は良くなっているものの、病気の疑いのある影も全く映っていないということで、今回も丸腰のまま病院を後にした。
そして次回CTの結果を見て、キートルーダの投与再開を判断するとのこと。
ただコロナの影響もあって、今まで3週間に1度の投与だったのを、6週間に1度に変更されるということ。
つまり点滴で投与されるキートルーダの量が倍になるということらしい。
それはそれでちょっとビビる。
2020/09/29
2020/09/20
Bandesh Database 2nd Update
Ustad Kaukab Khan(1822〜1887)
立ち上げから時間がかかってしまいましたが、いくつかのRaagをUpdateしました。
こんなペースでは Kaukab Khan だけで相当な時間を費やしてしまうので、今後は巻き気味で進めていきたいと思います。
いろいろ検証してみて明らかに記譜間違いと思われる部分は訂正しました。
多くはオクターブ記号や変化記号の間違いです。
それ以外の不合理なメロディーなどは記述通りに、ただし注釈を付けることにします。
前回上げた分に関しても、五線譜の表記で ♭ や ♯ の表記をインド音楽の考え方に寄せて、全ての音に臨時記号で表記に改訂しました。
五線譜に親しんでいる方にはうるさい譜面になりますが、今後 ♭ ♯ とナチュラルの表記が煩雑になるRaagが出てくるので、半音の上がり下がりはその都度表記します。
Raagの楽譜なのでその点は慣れて下さい。
また友人から Wajid Ali Shah の紹介文の誤りの指摘があり、調べたところ指摘どおりだったので訂正しました。
Wajid Ali Shah がカタックダンスのフットワークで、床に敷かれた布に描いたのはガネーシャではなくクリシュナでした。
インド芸術史の中でも、こんなにオタッキーな地点を掘っている友人がいることに、嬉しさと喜びを感じました。
今後もお気づきの点があればお知らせいただけたら嬉しいです。
立ち上げから時間がかかってしまいましたが、いくつかのRaagをUpdateしました。
こんなペースでは Kaukab Khan だけで相当な時間を費やしてしまうので、今後は巻き気味で進めていきたいと思います。
いろいろ検証してみて明らかに記譜間違いと思われる部分は訂正しました。
多くはオクターブ記号や変化記号の間違いです。
それ以外の不合理なメロディーなどは記述通りに、ただし注釈を付けることにします。
前回上げた分に関しても、五線譜の表記で ♭ や ♯ の表記をインド音楽の考え方に寄せて、全ての音に臨時記号で表記に改訂しました。
五線譜に親しんでいる方にはうるさい譜面になりますが、今後 ♭ ♯ とナチュラルの表記が煩雑になるRaagが出てくるので、半音の上がり下がりはその都度表記します。
Raagの楽譜なのでその点は慣れて下さい。
また友人から Wajid Ali Shah の紹介文の誤りの指摘があり、調べたところ指摘どおりだったので訂正しました。
Wajid Ali Shah がカタックダンスのフットワークで、床に敷かれた布に描いたのはガネーシャではなくクリシュナでした。
インド芸術史の中でも、こんなにオタッキーな地点を掘っている友人がいることに、嬉しさと喜びを感じました。
今後もお気づきの点があればお知らせいただけたら嬉しいです。
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