石蕗の新芽が石垣の隙間から元気に芽吹いていた
明日から3月
新しいMacとソフトの環境に悪戦苦闘しながらスタジオで作業に追われる中
巨大地震のニュースと津波のニュースが気になり続けていた
自然とは?
自然の対義語は人工
自然に人は含まれるのか?
これはいつもコンサートでお世話になっている京都法然院の梶田真章さんに問われたこと
浄土宗のお坊さんに問われた禅問答のような言葉は
以来ずっと頭の中でリンクしている
言葉の世界では自然と人工の対義語の希薄な隙間に人は存在しているのか?
現実世界で自分自身はそのどちらにいると感じているのか?
自然による破壊と人による破壊
どちらにも心痛むのはやはり狭間の存在だからなのだろうか?