2012/07/19

モシモシ




インドの人々が日本語の単語を覚えるきっかけは、
やはり映画からというのが圧倒的に多いのだろう。

かつてはコルカタの街で「サヨナラ」とよく声をかけられた。
映画の挿入歌の歌詞に「さよなら」が使われていたらしい。

最初の頃はいちいちつきあっていたが、
それもだんだん疲れてくる。


ただ「サヨナラ」と声をかけられるのは都合良かった。

声を掛けられても簡単にやりすごせたし、
こちらも「さよなら」と手を振りとりつく島を与えないですむ。

「サヨナラ」という言葉はかなり流行ったのか、
コルカタの電器店に「SAYONARA ELECTRONIC 」という看板を掲げた店があり、
あれはかなりツボにはまった。


ここ数年は「モシモシ」と声をかけられる。
これはかなり厄介だ。
「もしもし」と声を掛けられると無条件で振り返ってしまうからだ。
すると屈託のない笑顔とともに会話に持ち込まれてしまう。

フレンドリーで嬉しくもあるが、続くと多少ウザい。

なので「モシモシ」には「なんですか~?」と返す。
だいたいここでたじろいでくれるが、
強者はさらに知っている単語を矢継ぎ早に続けてくる。
「ヒロシマ・ナガサキ」
これは必ず会話のきっかけになってしまう。
広島と長崎はインド人にとって日本で最も有名な都市であり、
唯一知っている日本語?でもある。


「どこから来たの?」
「逗子だよ。」
「そこはヒロシマからどの位離れているの?」

「日本の首都はヒロシマ・ナガサキから遠いのか?」
「広島と長崎だって離れているよ。」
・・・・・・・・・

と会話が続いてしまう。

インド人にとって広島と長崎は日本の地理の基準にもなっているのだ。


もっと強者は
「モシモシ ヒロシマナガサキ?」

迂闊にも反応してしまい
「私はヒロシマナガサキという名前ではない!」
「そんなの知ってるよ。」
と落語のようになってしまう。

「変に言葉が繋がっているんだ。」
などと言うと話が長くなって日本語講座になってしまう。



枕が長くなってしまった。

ところで

インドの国会では広島の日8月6日と、
長崎の日8月9日に議員が必ず黙祷を捧げている。
これはインドの独立以来毎年欠かさず行われている。

人類史上最も卑怯な兵器が使われた日を
忘れてはいけないということを改めて自覚させられた。


昭和天皇が崩御した時もインドは3日間喪に服しマーケットなど全て閉じていた。
その後、しばらくの間 街で通りすがりの人からお悔やみを言われ続けた。

あの時もインド人の懐の深さを感じた。










ショナルプールの家の近所の子供が
最近「なんですか〜?」と声をかけてくるのには少々参っている。