インドの人々が日本語の単語を覚えるきっかけは、
かつてはコルカタの街で「サヨナラ」とよく声をかけられた。
映画の挿入歌の歌詞に「さよなら」が使われていたらしい。
最初の頃はいちいちつきあっていたが、
それもだんだん疲れてくる。
ただ「サヨナラ」と声をかけられるのは都合良かった。
声を掛けられても簡単にやりすごせたし、
こちらも「さよなら」と手を振りとりつく島を与えないですむ。
「サヨナラ」という言葉はかなり流行ったのか、
あれはかなりツボにはまった。
ここ数年は「モシモシ」と声をかけられる。
これはかなり厄介だ。
「もしもし」と声を掛けられると無条件で振り返
すると屈託のない笑顔とともに会話に持ち込まれてしまう。
フレンドリーで嬉しくもあるが、続くと多少ウザい。
なので「モシモシ」には「なんですか~?」と返す。
だいたいここでたじろいでくれるが、
「ヒロシマ・ナガサキ」
広島と長崎はインド人にとって日本で最も有名な都市であり、
唯一知っている日本語?でもある。
「どこから来たの?」
「逗子だよ。」
「そこはヒロシマからどの位離れているの?」
「日本の首都はヒロシマ・ナガサキから遠いのか?」
「広島と長崎だって離れているよ。」
・・・・・・・・・
と会話が続いてしまう。
インド人にとって広島と長崎は日本の地理の基準にもなっているのだ。
もっと強者は
「モシモシ ヒロシマナガサキ?」
迂闊にも反応してしまい
「私はヒロシマナガサキという名前ではない!」
「そんなの知ってるよ。」
と落語のようになってしまう。
「変に言葉が繋がっているんだ。」
などと言うと話が長くなって日本語講座になってしまう。
枕が長くなってしまった。
ところで
インドの国会では広島の日8月6日と、
これはインドの独立以来毎年欠かさず行われている。
人類史上最も卑怯な兵器が使われた日を
忘れてはいけないという
昭和天皇が崩御した時もインドは3日間喪に服しマーケットなど全
その後、しばらくの間 街で通りすがりの人からお悔やみを言われ続けた。
ショナルプールの家の近所の子供が
最近「なんですか〜?」と声をかけてくるのには少々参っている。