忍野にある山梨県立富士湧水の里水族館の水槽
この魚を釣りに行こうと思っていた頃
神秘という言葉がまさにピッタリの魚だった
かすかな口コミ情報の他はまだあまり情報も少なかったが
'90年代に入って釣りガイド本に猿払川などが紹介され
幻の魚が現実的なものになった
浜頓別を経て猿払川の河口にたどり着いたときはその光景に息をのんだ
河口近くに沼が存在する姿は原始の河口の風景を思わせる
泥炭層から湧き出た茶色い水面 水辺には葦
流れに近づくと河口付近なのにヤマメが岸辺を泳ぎ
トゲ魚も群れで泳いでいる
そしてそうした魚にアタックを繰り返すイトウ
アタックの方法は尾を岸にたたきつけ気を失った魚を飲み込んでいく
足下でドスーン ドスーンと地面を揺らすアタックは
大型犬が暴れている衝撃のようだった
そんな捕食行動をする鮭鱒類を初めて見た
臆する気持ちを抑えその日は日没後まで釣り続けた
暗くなりもう限界というところで遂に釣り上げた時は小躍りした
放流魚ではなくその地で世代を繋いできたたくましさと
それを抱擁するだけの自然の豊かさには敬意を越えた尊崇の念がわき上がってきた
それは釣りをしてきて初めていだいた感情だった
その後通う度に釣り人は増え続けていきフィールドにゴミも増えていった
釣りに行ってゴミ拾いをすることも普通の行為だったが
だんだん洒落にならなくなっていくゴミの量と
年々殺伐としていく釣り場の雰囲気に閉口し
嫌気がイトウへの情熱より勝るようになり通うのをやめた
今さらマナーのことを言うのもどうかと思うが
現象だけでなく心までも失われていくのは諸行無常というものか