2012/11/14

秋の渓


川に着くまでいろいろ想像しながら行くが、
川はいつもその想像を超えている。

先週、もうカゲロウはいないだろうと思っていたら、川に着いてみると大量のオナガヒラタカゲロウの成虫がペアリングの最中だった。

ダンスは地味だが美しい羽ばたきで舞っている。
自慢の長い尾もなんとも優雅だ。

魚も上を見ている。

梅雨頃から9月を念頭に毛ばりを巻いていたので、巻いたものは蟻や蜘蛛や甲虫のパターンばかり。

しかしまだ水面に降りて産卵する様子はなかったので、適当な小さめのカディスを流してみた。
上を見ていた魚はすぐに反応したが上手く乗らなかった。
それよりもいきなりの反応に自分が反応出来なかった。

やはり一年ぶりに渓流に立ってみると、自分が風景に溶け込めていないような気がしたり、なかなかモードが切り替わらない。
常に何かに観察されているような気がする。
魚なのか?動物なのか?

ウエーダーで川を渡るのもぎこちなく、ポイントごとの立ち位置もしっくり決まらない。

しばらくカゲロウのダンスを見ながら、ベストに入っているフライボックスをチェックしてみる。





水面にライズする魚がでてきたので、また毛ばりを流すとまたバシャッと魚がでるが、また毛ばりはすっぽ抜ける。

まだ上手く流せていない。

真面目に釣っていれば自然に出来る、ポイントごとに変えるキャスティングの動作も上手く繋がらない。

毛ばりを上手く流せて釣れ始めると不思議な集中状態になる。
釣りモードになるというのは一種の瞑想状態になることなのか?





コルカタのシタールメーカーHiren Roy & Sonsの先代ヒマングシュ氏に、瞑想は日常の生活全てに在る、と言われたのを思い出す。

渓流に一人で入る時はなんとなく意識している。
お互いに観察し合っている感覚や、川の水の流れ方、魚の動き方・・・、いろいろなことを考えずに溶け込むように添うことが出来れば、より楽しい釣果を得られるかも知れない。

魚の気持ちが知りた~い!


集まっていたカゲロウが産卵に散って行くと夕まずめに。

晩秋にこんなに楽しくドライフライで水面の釣りが出来るとは思っていなかった。