今回のコルカタ滞在では、久しぶりにシアルダーエリアを散策することが出来た。
30年余り前の景色。
当時はカルカッタで何か用事を済ます為には、先ず電車でシアルダー駅まで出て、そこからさらに目的地を目指すのがコースだった。
今のようにいつでもタクシーがつかまえられない時の話だ。
それでも当時はトラムの路線も今よりずっと多く、それなりに便利な足だった。
今は便利になった反面、カルカッタの濃縮された液体のような、あの時の空気は感じることは出来ない。
シアルダー駅は私にとって不思議世界への入り口だった。
一旦咲くと同じ花が数日間をかけて、水色からピンクになり、最後はオレンジに色が変わっていく、不思議なバラの苗が売っていた植木市が立ったり。
近くの電気店街にSAYONARA ELECTRONICという看板を掲げた電器屋さんがあったり、フィルムカメラを普段持ち歩かなかったので、記憶の中にしか息づいていない風景は個性的でスパイシーだ。
なぜフィルムカメラを持ち歩かなかったかと言うと、街でカメラを取り出すと2重3重と取り囲まれ、記念撮影をするハメに陥り、その後その全員から住所を渡されたりするし。
写真を撮ろうとすると、着替えて来るからちょっと待っててくれと、なんとものんびりさせられたりもしたので、面倒になりカメラを持ち歩かなくなった。
もしもカメラに気づかれずに、あの時の光景を切りとることが出来たなら、すごく面白い写真になっていたと思う。
当時は紙焼きの時代で、今のようなデータの時代ではなかった。
記憶の中の素敵な景色や笑える光景は、もう記憶の中にしか存在しない。
ただ変わらない風景も少しは残っていることは、 今回の嬉しい収穫だったかもしれない。
30年余り前の景色。
当時はカルカッタで何か用事を済ます為には、先ず電車でシアルダー駅まで出て、そこからさらに目的地を目指すのがコースだった。
今のようにいつでもタクシーがつかまえられない時の話だ。
それでも当時はトラムの路線も今よりずっと多く、それなりに便利な足だった。
今は便利になった反面、カルカッタの濃縮された液体のような、あの時の空気は感じることは出来ない。
シアルダー駅は私にとって不思議世界への入り口だった。
一旦咲くと同じ花が数日間をかけて、水色からピンクになり、最後はオレンジに色が変わっていく、不思議なバラの苗が売っていた植木市が立ったり。
近くの電気店街にSAYONARA ELECTRONICという看板を掲げた電器屋さんがあったり、フィルムカメラを普段持ち歩かなかったので、記憶の中にしか息づいていない風景は個性的でスパイシーだ。
なぜフィルムカメラを持ち歩かなかったかと言うと、街でカメラを取り出すと2重3重と取り囲まれ、記念撮影をするハメに陥り、その後その全員から住所を渡されたりするし。
写真を撮ろうとすると、着替えて来るからちょっと待っててくれと、なんとものんびりさせられたりもしたので、面倒になりカメラを持ち歩かなくなった。
もしもカメラに気づかれずに、あの時の光景を切りとることが出来たなら、すごく面白い写真になっていたと思う。
当時は紙焼きの時代で、今のようなデータの時代ではなかった。
記憶の中の素敵な景色や笑える光景は、もう記憶の中にしか存在しない。
ただ変わらない風景も少しは残っていることは、 今回の嬉しい収穫だったかもしれない。