2011/05/28

高松

本日ご来場の皆様ありがとうございました

カエルの大合唱の中、とても癒される環境で休むことができます。
四国は入梅したようで湿度が気持ちいいです。

明日は高松の「旭屋」さんでライブです。

ご来場心よりお待ちしています。

2011/05/27

ハックル

こちらの方が良いか?

ハックル

鳴門大橋

四国に上陸
梅雨がお出迎え

海峡を渡る

淡路島を通るのも久しぶり
雨が降っていないのでスムーズな道路状況に助けられ

移動

今日と明日は香川県でライブ
楽しみです。
今のところ時々小雨の中での移動。
台風が今後の気になるところです。

2011/05/26

ノール

国道16号線を追浜から田浦に向かって1キロ程走った左側のお店。
丸新らぁめん
和風とんこつ醤油濃厚バージョン、ねぎ増し、極太麺。
時々無性に食べたくなるラーメンの一つ。
インドに長期滞在して日本に帰ってくると最初に食べたくなるものは長いことラーメンだった。
20年位前はインドで麺類と言うと中華のお店か路上屋台で「チョウメン」と呼ばれるもので、焼きそばのようなものだった。
ラーメンに近いものと言うと「ヌードルスープ」というメニューだが、これが曲者で中華風スープの中に麺が2〜3本泳いでいるもので欲求不満が募るものだ。
最近はインドでもインスタント麺が多く出回っていてポピュラーになった。
コルカタの下宿先でも汁無し麺が朝食に出ることがある。
老舗ブランドは「maggi」で家で麺と言えばこれだった。
前回の滞在中に汁無し麺を出された時に「おっマギーだね?」と言うと
「違う違うノールだよ」と弟弟子
「えっ何それ?」と訊くと Knorr のパッケージを出し新しいブランドだと言った。
「なんだクノールね?」と言ったらニヤリと笑う。
?????
しばしの沈黙の後で彼は「N の前の K は撥音しないでしょ?ナイフはクナイフじゃないよね?」と教え諭すように笑った。
「日本ではこのブランドは自らクノールと言っているんだ」と言いながら憤懣やる方なかった。

Sitar(シタール)について ブリッジ編 2


最近使われているブリッジの素材は
黒檀(エボニー)やグラスファイバー。
それぞれ特徴がある。



多分最初に黒檀を使用したデリーの Rikhi Ram のブリッジ。
削りだしのブリッジで脚の部分まで一体型。




Kolkata の Hiren Roy & Sons の先代 Himangushu 氏に頼んで試した物。
脚の部分は彼が通常使っていたマテリアル。


黒檀のブリッジは鹿角に比べ音色が柔らかな印象。
使用して音が抜けるまでにやや時間がかかるが
長く使用したトゥーン材の楽器の音色が
鋭く華やかになりすぎたと感じた時にはそれを抑える効果を感じた。
渋めの音と言ったらいいのだろうか?



現在 Hiren Roy & Sons 改め Barun Ray で使っているグラスファイバー。


グラスファイバーのブリッジは鹿角と黒檀の中間の印象。
音抜けも中間に感じた。
なんと言っても特徴はジュワリが長持ちすること。



マテリアルの違いで感じることは
音色の他にストロークで右手が感じるブリッジの振動と
言葉で説明が難しい引っかかり具合など。
どちらかというとこちらの方が顕著だった。

音色についてはまったく主観的な印象で
あまり参考にならないかもしれない。
ただブリッジや足のマテリアルを執拗に追求した時期があり
試しただけの音色の変化や弾き心地に結果がでたので面白かった。

自分なりに導き出されたことは

ボディとブリッジやブリッジの脚のバランスや相性をマッチさせること。
ボディの癖やブリッジの癖はその数だけあると思う。

表面板とブリッジのフィッティング。
脚の面が表面板と触れているので
そのフィット感によって振動の伝わり方が決まる。

そして何よりも重要なのは
弾いている絶対時間の長さ。
それを置いてなんの結果も得られない。


2011/05/25

New Album



新しいアルバムが届いた。
初めての実況盤。

今年2月に吉見征樹さんと行ったツアーから
名古屋 TOKUZO での「Puriya Klyan」と
京都 うずらキャラリー での「Bhairavi」の Live 収録です。

タイトルは「Tour 2011」

多くの方々にお楽しみいただければ幸いです!

Sitar(シタール)について 塗装編


シタールの塗料をインドでは「ヴァーニッシュ」と言うが、日本で言う「ワニス」のことでオランダ語の「Vernis」からきていると思われる。

原料は養殖しているラックカイガラムシの分泌物を乾燥させ植物油などに溶かして再乾燥させた物(写真)をアルコールで溶かしてニスにしている。
以前インドで尋ねたときは虫の糞から作っていると答えられた。
カイガラムシは植物に寄生するいわば害虫に数えられる虫だが、インドでは塗料を採るために養殖している。
いわば植物性の樹脂だ。

このニスの別名は「フレンチポリッシュ」でヴァイオリンや高級なギターの塗装にも使われている。

塗装に使う際はアルコールに溶かすが以前は日本でも売られていた純度95%以上の「メチルアルコール」を使用した。
しかし今ではメチルは販売されていない。
「エチルアルコール」でも溶かせるそうだがまだ試したことはない。

この塗装の弱点は高温で、長時間高温下に放置すると白くざらついたり泡を吹くように変質する。
まあ楽器を高温下に放置すること自体が非常識なので通常は問題ない。
シタールの場合は高温でも低温でも急激な温度変化でバランスや音色も損なわれるのでまず避けるべきことだ。

もう一つの弱点は水分だが基本的に楽器を濡らす機会はないので汗に気をつけるくらいで充分だ。

ニスには黄色(ブロンズ)系のものや赤系のものなど自然色でもバリエーションがあるが、顔料などを溶かして色づけすることもできる。

手入れには通常から拭きで汚れを落とすか埃をはたいて落とす程度で良い。

2011/05/23

パラシュート部隊と

やはり同じパターンを巻くと効率がいい。
久しぶりにパラシュートを重点的に巻いてみた。
梅雨入りの話もちらほら聞こえてくるが季節感が今ひとつしっくりとしない。
今日の雨は早春の香りがする。

2011/05/22

灯り



いつもコーヒー豆を買っている東逗子の「BEANS」へ行ってみると、
入り口に何とも言えない灯りがあった。

船で使われていた左舷灯だ。
最近ネットオークションで手に入れたと言うが送られてきた先は福島県いわき市で
どうやら津波に遭ったらしく本体内部には大量の砂が入っていたそうだ。
大きさからすると中型の漁船のものだろう。

もちろん灯油式のものなので現役で使われていたものではないだろうが、
どういう経緯でオークションに出されたのか?など「BEANS」のご主人と話が尽きなかった。

津波に遭っても火屋は無事で分解掃除をして燃料を入れたら立派に灯りがともったそうだ。

柔らかくともった灯りにこの左舷灯が経てきた時間に思いをはせてしまう。

2011/05/20

伝播したのか?

Raga(ラーガ)はインドではRag(ラーグ)と発音されることがほとんどだが、文献では必ずRagaと書かれている。
Ragaはもともと染色用語で「心を彩るもの」という意味とされる。
日本の染色で栄えた街には必ずと言っていいほど愛染明王が祀られているが、インド名では「Raga Raja」(ラーガの王)と呼ばれている。
京都に住んでいた頃「羅雅」という喫茶店があり思わず入ってみて意味を聞いたが、お店の方は機織りの用語だと言っていた。
金襴・緞子のような煌びやかなことを言うと訊いた覚えがある。
羅雅に興味をもったのだが結局詳しくわからなかった。
更紗のように中国経由なのか?
絣のように海洋経由なのか?
最も原語に近い羅雅はどのような経緯で伝播したのだろうか?
そして実物はどのようなもの?

Sitar(シタール)について ブリッジ編


ブリッジはボディと共に音や音色に大きく影響する。
弦をブリッジの面に乗せ
そのさわり加減で音色を作る。

三味線の低音弦では棹の上部で同じ考え方の構造で音色を作っているが
日本で「さわり」と呼んでいるこの構造と音色を
インドで「ジュワリ」と呼びの「さわり」の語源と言われている。

インドでも構造だけでなく音色的な意味も持っている。

ジュワリの調整は楽器の制作と共にシタール職人の技の見せ所となる。
削り方次第で音色を自在に変えることが出来る。

倍音を多く含む調整をオープンジュワリと呼び
倍音を抑えた調整をクローズジュワリと呼んでいる。

それは演奏家の好みに合わせて職人が調整するが
例えば前者を好むPandit Ravi Shankar
後者を好むUstad Vilayat Khan
と言った具合にジュワリの調整加減が演奏家の個性にもつながっている。

弾き方や弾いている絶対時間にもよるが
ジュワリ(音色)は長持ちしない。
倍音成分が変化しながら最終的には高域がうるさくなりジュワリは終わる。

そしてまた削り直してジュワリを調整しなくてはならない。





ブリッジには以前は鹿の角を使っていたが
インドで鹿の狩猟が禁止されたため
現在はグラスファイバーやプラスティックなどを使っている。
また黒檀などの木製のブリッジもある。

博物館などに陳列されている楽器で
象牙や白檀を使った昔の楽器を見たことがあるが
音色は今となっては未知だ。



鹿の角に比べて新素材は個体差ばらつきはないが
それぞれの個性は感じられない。
そのかわり調整したジュワリが長く維持される。

鹿の角の場合その個体差は激しく逆にやっかいでもある。

もうすでに鹿の角は無くなっているので今では選ぶことが出来ない。

ただ本当によく鳴る鹿の角の音色は代え難く
是非とも奈良の鹿園の勢子による鹿の角切りをインドへ伝えて欲しいと思う。




鹿の角を支える足の部分は木を貼り付け削りだして作られる。
材質は楽器用の材木の端材が使われている。
サイズさえ合えば廃材も使われる。

材質・形状なども音に影響するができるだけ完全乾燥している材料が好ましい。

いろいろ試してみたが材として売られている60%ほどの乾燥の木材では
音の抜けが困難だった。

ブリッジもボディ同様音が抜けるまで時間を要する。

あくまで音色は弾き手の好みで変えれば良いので
試せることは試してみることだ。


ブリッジを削っていくと部材はどんどん薄くなっていき
ブリッジ本体が軽くなりすぎるので以前は5ルピー玉を貼り付けてしのいだ。
しかし経済発展と共に最近の5ルピー玉はその価値に比例して小さく軽くなってしまっている。

2011/05/19

参考にしている本


解説で引用している参考図書

A Historical Study of Indian Music (Swami Prajnanananda)
Historical Development of Indian Music (Swami Prajnanananda)
Sitar and Sarod in the 18th and 19th Centuries (Allyn Miner)
Sitar Music in Calcutta (James Sadler Hamilton)
NAD Understanding Raga Music (Sandeep Bagchee)


本はたいてい読むと処分するのだが
読み返したくて残している本の一部。

どれも楽しく読めるが
手前の2冊の著者。
スワミ・プラジナナナンダって
だ洒落にしたい早口言葉のような名前の音楽学者。

私の英語力の無さもあるが
読みくだすのにかなり苦労した。
独特の視点と切り口を独自の文体で著述している。

読みたいものはまだかなりある。

2011/05/18

渓流魚の写真


ヤマメが出てきてこんにちは




雨上がりでいい感じかな?
と思ったのは私だけではなかったようで
今日の川は人が多かった。

仕方なく支流の沢筋を登ることにした。
弱っている足腰は悲鳴を上げる。
釣りでなければこんなハードエクササイズはありえない。



イワナは粋な模様をしている。
とぼけた表情に感じるのは私だけ?




昔は常に最短コースを登っていたが
最近は回り道もしばしば。

おかげで今まで見えていなかった物に目がいく。
沢の日陰の苔も何とも愛らしい。



渓流の女王ヤマメ

オスでも女王なのが面白い。

去年の写真があまりに酷かったので
写真用に大きめのネットに替えて正解。

細かい網に変えたら魚も暴れなくなった。

写真の技術はどうしたら向上するのだろうか?


2011/05/17

出来そこないでも


何の脈絡もなく思いつくまま巻いたフライ。
一週間余りでこれだけか・・・
先週の苦い経験を生かせるか?

釣り場で虫さされ予防のスプレーを使っていると
いい虫も寄ってこないのが難点だ。

しかし出来そこないばかりだ。
まあ出来そこないのフライが好きな魚もいるだろうと希望しつつ
天気予報を注視している。

キノコ狩り


昨秋キノコ狩りに連れて行ってもらった。
渓流で遊んでいても山菜は採るがキノコには手を出さない。
図鑑と見比べても見分けるのが難しい。

一晩中下痢するのも
一晩中笑うのもごめん被りたい


エノキタケ
売っているものとはずいぶん違う。


キノコの綺麗さは独特だ
この光り方はなんとも言えない



食べられないものもデザインは抜群だ!



いい眺めだ



エノキタケ シイタケ等々

友人はクマの分を残しつつも
ぐっすら採って料理してくれた。

やはり天然キノコは旨かった。

近くに見るからに良さそうな川が流れていて
いい季節に是非とも再訪したいと思った。

2011/05/16

昼顔か

夕顔はシタールの材料だった。

夕顔

逗子駅の植え込みで発見。
今年は開花時期が凝縮している気がする。
虫も一緒だろうか?

Tabla

タブラ奏者も大勢紹介したいが動画が残っている人が少ない。

Ustad Ahmedjan Thirakwa
20世紀を代表するタブラ奏者。
インドのドキュメンタリー映像から



ドキュメンタリーでも使われている演奏の映像。
埋め込めないのでリンクです

1936年収録の映像 (昭和11年 2・26事件の年か)
http://youtu.be/StWrVL6SHL4

1961年
http://youtu.be/7_S_78C-42A


Ustad Alla Rakha & Ustad Zakir Hussain
Pandit Ravi Shankar と様々な国々で人気を博した Ustad Alla Rakha と、現代のスーパースター Ustad Zakir Hussain の親子でデュオ、色々あるが・・・

2011/05/15

Gwalior Gharana

いよいよ真打ち登場。
Gwalior Gharana は北インドの音楽の中心的流派。
声楽 Khyal の最も古い Gharana の一つでここからAgra Gharana や Jaipur Gharana も派生している。
古くから音楽が盛んで様々な様式を研究し中世から音楽の都として多くの音楽家を輩出している。
現在の音楽のルーツを辿ると必ず登場する楽聖ミヤン・タンセンも Gwalior 出身と言われている。

メロディー溢れる即興や独特なガマックやターンを駆使。
最も特徴的なのは普通 Khyal ではゆっくり(Vilambit)の早さからガットが始まるスタイルが多いが, Gwalior Gharanaでは 中庸(Madhyam)の早さの バンデッシュ(テーマのメロディー)からガットが始まる。

Pandit D V Paluskar
Baiju Bawra でも紹介した声楽家。
早くに父の Pandit Vishnu Digambar Paluskarを失い Pandit Vinayakrao Patwadhan と Pandit Narayanrao Vyas から指導を受け、また他の Gharana のスタイルを取り入れ独自の音楽を創造するが脳炎で34才の若さで亡くなる。
最後に録音したLPレコード Rag Shree でプレイバックを聴いた彼は完璧ではないので録り直したいと言ったがそれは叶わなかった。
まだ私はこの録音のどこに完璧でないものが存在するのかわからずにいる。




Pandit Omkarnath Thakur
Pandit Vishnu Digambar Paluskar が設立した音楽学校、 Gandharva Mahavidyalaya で学んだ。
ラーガへの厳格なアプローチと正確に情感を喚起させるパフォーマンスは孤高とも言える時代を代表する声楽家。




Pandit Kumar Gandharva
片肺の摘出手術をしていたためブレス(息)が普通の半分なのだが、短いフレーズでも説得力ある即興はその構成力と魂のこもった歌声によるものなのか?
美しさと面白さを浮き彫りにさせるアプローチと共に、声質では魅惑のハイトーンを持っている数少ない声楽家の一人。



彼の少年時代の動画。
この老成した子供と、この時代の映像が残っていることに驚きを覚える。

春のRag

本来の初夏らしい光が降りそそいでいる。
コルカタの春は今日のような陽気だ。
先週梅雨前線の雨が降ったが、梅雨前線はインドのモンスーン(熱帯雨林)の雲がジェット気流に乗って旅してくるらしい。
コルカタは今夏の盛りを迎えている。

春の Rag Tilak Kamood
Ustad Ali Akbar Khan と Ustad Vilayat Khan の Jugalbandi 。
動画ではないが使われている写真はちょっとレア。

2011/05/14

Amir Khusrau アミール・フスロウ

どんな記述を読んでも sitar シタールはアミール・フスロウによって考案されたことになっている。
デリー スルタン朝 の 第二王朝 ヒルジ朝(又はハルジ朝)の第三代 アラーウッディーン・ヒルジ(ハルジ)の王宮でのことだ。

アラーウッディーン・ヒルジの治世は1296年から1316年までなのでその20年の間にシタールは生まれたことになる。

1206年にトルキスタン出身の クトゥブッディーン・アイバク によって デリー に最初にイスラム王朝ができてから80年余り、トルコ系の血も混じっているもののアフガニスタン出身のヒルジ氏(族)がスルタン(王)の座を奪ってヒルジ朝を建てる。
そしてアラーウッディーンはその初代の叔父を暗殺し、その後にスルタンを宣言したその息子を排除し自らスルタンを宣言する。
アラーウディーンの時代は強力な軍事力を使って領土も広げ国力は安定していた。

アミール・フスロウの父はペルシャのコーサラン国に住んでいたと言われているが、アミール・フスロウが生まれたのは Patiali ウッタールプラデーシュ州。

アミール・フスロウは最初、前の王朝のギャースッディーン・バルバン(治世1266年~87年)に仕えていたが、アラーウディーン・ヒルジの王宮に宮廷芸術家として迎えられる。

アミール・フスロウがインドのビーン(ビーナ)とペルシャのセタール(3弦という意味の名前を持つ)を融合して作った sitar(シタール)がどんな楽器であったかは想像するしかない。

アミール・フスロウは総合的な芸術家で声楽や詩の世界にも大きく貢献した。

デリーにイスラム王朝が継続的に建っていくな中、その王朝やヒンドスターン平原にある多くの藩王国マハラジャの宮廷で、ペルシャ文化やトルコ・アフガニスタン・中央アジアなどの音楽が、それまでのインドの音楽と影響し融合していく中でヒンドスターン音楽(北インド音楽)の様式が生まれていく。

シタールも色々な変遷をたどって行くが、あまたあるインドの楽器の中で作者がはっきりしている楽器は珍しい。

2011/05/11

ふぁいあーフライ

作家の友人にエッセイを頼まれた。
逸品啓上というテーマでおもてなしにまつわるエピソードをというお話だった。

先日現在ホテル内で配布中のリーフレットを一部いただいた。

2011
A fantasy of the FIREFLY
5.21 Saturday~7.10 Sunday
蛍舞う、
初夏です。
フォーシーズンズホテル椿山荘 東京

Firefly 昼の姿はさておき夜のホタルを巻くのは難しいと思う。
あんなに光るマテリアルはおよそ考えつかない。
以前えさ釣りの人からアマゴの夜釣りでホタルをエサにつかって爆釣したという話を聞いた。
渓流で夜釣りはおよそ考えつかなかったしよく知らない場所では危険だ。
Fireflyを巻けたとしても暗い中でキャスティングも容易ではない。
しかし実現性はともかくとして名前がかっこいい。
ふぁいあーフライ

インドで普段生活しているショナルプールという街は季節に関係なくホタルを見ることが出来る。
宅地化が進んで少なくはなったが多くの池があり水質とエサの環境がいいのだろう。
日本人はホタルや鈴虫などを愛でる感性を持っているがそれは特殊なことなのかも知れない。
彼らにしても欧米人にしてもただの虫のひとつにすぎないのか話しても盛り上がらない。

日本人の独特な感性と美意識や季節感は受け継ぎ常に意識して身につけていたいと思う。

リーフレットでは京都の友人のとても斜いた茶の湯のおもてなしの話を紹介しました。
機会があればピックアップして読んでみて下さい。

2011/05/09

連休明け 渇水


近所でつつじが散り始めたので丹沢の通い慣れた川を目指した。
雨が少ないのは気になっていたがつつじが散りはじめたので少し焦った。

まだ山は山吹が咲き八重桜も少し残っていた。
雨が少なかったのは気になっていたが案の定の渇水。
連休中は人が多かっただろうなと準備をして川を目指すと
先行者が川を上がって歩いてきた。

どうでしたか?と尋ねると
ぜんぜんだめです・・・
ドライには出ないし、ニンフでやっと出たけど乗りませんでした。

う〜ん
覚悟を決めて下流部まで林道を下がって川へ降りてみた。

水量は普段の半分位だろうか?
魚は神経質でフライを見ると逃げてしまう。
いろいろなドライフライを試してみたが結果は同じ。

焦らず雨を待ってから来たら良かったかな?
と後悔しつつ川を登り小さなプールに着いた。
普段ならドライでもイワナやヤマメが遊んでくれるのだが
あれだけ嫌がられると先行者の話が現実味をおびてきてニンフを結ぶ。

先ずはプールの尻の方からキャストしてみるがヤマメに無視された。
本当にだめかも知れないと思いつつも気をとりなおして
ジリジリとプールの核心へ迫っていく。
相変わらず無視され続けながら最も良い場所と思われるところを遠目で見てみると
何やら大きな陰がゆらゆらしている。
これは尋常ではない
一呼吸おいて慎重にキャストしてみると
一発でバシャ!っと魚が出た。

強烈だった
何だこれは?
と必死にこらえていると大きくジャンプした。
マスだ

8Xのティペットだったので切られると思い
慎重にやりとりするが走るはジャンプを繰り返すは
ここが北海道か?と勘違いするようなファイトを見せてくれた。

しばらく翻弄されるがなんとかネットに収めてみるとグラマーなメスだった。


40センチ足らずだと思うがまるまると太った弾丸のような魚体。

超ビックリ
しかし渇水でなければ上げられなかったと思う。

厳しい状況での一尾だったのでアップも撮影してみた。

顔が日陰になってしまった。
やはり釣った魚を写真で撮るのは難しい。
釣った瞬間があまりにも綺麗だからあとで写真でみると色あせるのか?
釣り上げた時が平常心ではないからなのか?
もっと綺麗に撮れないものか?
ニジマスさんごめんなさい。

2011/05/06

Sitar(シタール)について ボディ編

シタールのボディ材は日本では干瓢で知られる夕顔の実の皮部分。
栃木名産の夕顔は干瓢をとるために栽培されているせいか、シタールのボディ材よりも皮が薄い。
インドではミラージで栽培されているものが楽器用として最適といわれている。


ボディの表面版とネック、ボディとネックのジョイントに使われている木材はトゥーンと呼ばれている。
Toon(トゥーン)はセンダン科チャンチン属。
英名 Red cedar , Indian Mahogany , Indian toon
学名 Toona ciliata M.Roem.
落葉高木

英名でRed cedarだが針葉樹ではない、またIndian Mahoganyだがレスポールなどに使われた中南米のものとは異なる。
これも若干異なる種類だが日本で見られる仲間は中国原産のものでチャンチン(香椿)と呼ばれる材。
俗称はトウヘンボク(唐変木)。
学名Cedrela sinensis Juss(cedarela toona)。

トウヘンボクかぁ・・・
トゥーンのまま謎のほうがよかったか・・・

トゥーンを写真入りで紹介しているブログがありました。
http://blog.livedoor.jp/samvisham/archives/65016731.html#



かつて多く用いられた材はウォールナット・マホガニーと並んで世界三大銘木と言われたチーク。
チークはクマツヅラ科チーク属
英名 Teak
学名 Tectona grandis Linn.
落葉高木
Tectona hamiltoniana(Dahat Teak)はビルマの固有種で絶滅危惧種。

アジアではビルマ・タイ・インドネシアが原産国として有名だが、シタールではビルマ産が有名。
ほとんどが絶滅危惧種で最近の栽培種は成長促進剤を使ったスーパーチークというものもあるらしい。

シタール用の材料はかつてイギリス統治時代カルカッタ(コルカタ)で建てられたビルに使われた材料を、ビルの取り壊しの時にオークションで競り落としたもののストックだったが、最近はハイデラバードあたりのビルの取り壊しで希に手に入る材を使っているらしい。


2011/05/05

上手く巻けないな


そろそろいい季節だというのに川へ行く準備が出来ていない
一日一本でもフライを巻かなくてはと・・・


2011/05/04

エビカレー ココナッツミルク仕立て


超簡単ベンガルエビカレー(チングリーマライ)

下ごしらえをのぞけば30分位でできる。
生エビか冷凍エビを使用する。
有頭エビがベストだが今日は無頭冷凍エビを使った。
エビは中サイズ36尾使用でだいたい6~8人前。

エビの量を半分にすれば他の材料、香辛料も半分で約4人前になる。

手で食べるよりもスプーンで食べる方がルーが多く必要になる。
このレシピはスプーンで食べる目安にしている。


エビの下ごしらえ

殻をむき背わたをとる



エビに
塩小さじ1
ターメリック小さじ1
を加え5~10分マリネする


フライパンに油少々ひきエビの殻をソテーする。
フランベしたいところだが方向が変わってしまうので
殻に火が通ったら1水カップを加え煮立ったらザルでこしてスープをとる。


次のステップの写真を撮り忘れました。
また軽く油をひきマリネしたエビをソテーする。
ここでは軽く色づく程度、あまり火を通さずに上げる。



エビを上げたフライパンをそのままに
油大さじ1程度をひき月桂樹の葉を熱して香りを立たせる


すり下ろした生姜うめぼし大と、玉ねぎ中2個のみじん切りを加え軽く色づくまで炒める。


ターメリック小さじ1と
チリパウダー小さじ1を加える。

ここではカシミールチリを使っているが
普通のチリパウダーは辛みが強いのでチリ小さじ半分、パプリカ小さじ半分
又はチリ小さじ半分のみでもいい。
チリはここでは少なめにおさえ、最後に好みに合わせて加えてもいい。


しばらく炒めたら殻をソテーしてとったスープを加え
ココナッツミルク400ml缶 2缶を加えて10分程煮込む。
好みで生の唐辛子か、鷹の爪1~3本を加える。


エビを戻して少し煮込み
砂糖小さじ半分
ガラムマサラ 大さじ1
ギー又はバターを大さじ1程度加え10分程煮込む。

最後に塩やチリパウダーで味を整えて出来上がり。

今日はNumbさんが「やばい!」と言いながら食べてくれた。


2011/05/02

Ustad Nazakat(1920~1984) & Ustad Salamat(1934~2001) Ali Khan

Sham Chaurasia Gharana(Shamchaurasi Gharana)のルーツはムガール帝国アクバルの時代まで遡ると言われている。
創始はアクバルの時代に隆盛したDhrupadスタイルのMian Chand KhanとMian Suraj Khan。
Ustad Nazakat KhanとUstad Salamat KhanはDhrupad歌手だった父Ustad Vilayat Ali Khanの息子としてパンジャブ州に生まれるが、彼らはKhayalを選びインドとパキスタンの分離独立の際にパキスタンのラホールに移る。
その豊富なターンのパターンやラヤカリを駆使した激しいターンの応酬は聴き応えがある。
これぞ兄弟デュオと言えるコンビネーションの妙と醍醐味は他に類を見ない。
この二人の全盛期の動画は残念ながらYouTubeで見つけることができなかった。
多くの海外公演もあるので今後に期待している。




パキスタンのテレビプログラムでのUstad Salamat Ali Khanのソロパフォーマンス。
前に紹介したGhazal歌手のGhulam Aliが聴衆の中にいる。



2011/05/01

ジョイマン

知り合いが震災復興イベントを主催しているからと誘われ恵比寿のガーデンホールへ行ってきた。
素敵なアーティストが多数出演した「伝手」というイベントで特にキャンドル・ジュンさんの呼びかけには感銘を受けた。
今回初めて知った方だが震災後の彼の活動は実に的確なもので、いままで様々な人から発信される言葉を見聞きしても訴えられるものを感じずそれらの言葉がかえって心にわだかまっていたので、彼の重みのある言葉はそれらを吹き飛ばしてくれた。
また仙台に仕事で出かけている際に地震に遭いその後も被災地に支援に行かれているスタッフの方の話は生の現実を知らされる良い機会になった。
そしてジョイマンのステージは大きなおまけだった。
あの奇妙な動きとだじゃれのラップが妙につぼにはまりファンだった。
もちろんライブを見るのは始めてだったので大満足。
こんなに大笑いしたのは何日ぶりだろう?
そういえば長い間笑っていなかった。

KOLKATAへ空路で

コルカタ空港はNetaji Subhash Chandra Bose International Airportという長い名前が正式名称。
残念ながら日本から直行便が無いので短時間で入るためにタイ国際航空を使っている。
成田ーバンコック、バンコックーコルカタと乗り継ぐのだが、この二つのフライトの雰囲気はまるで違う。
成田ーバンコックはビジネスと観光目的の乗客が大半を占めているが、バンコックーコルカタはちょっと趣が異なる。
この便には買い付け帰りのいわゆる運び屋が大勢乗っている。
コルカタ空港に到着し入国手続きを行い預けた荷物を待つのだが、最近この退屈な時間がちょっと楽しい。
年々急増しているのがSONYのBRAVIAだ。
インドは空港や駅などの施設が撮影禁止区域になっている。
撮れるものなら撮ってみたいと感じたのが昨年秋だった。
テレビなどの精密機械はトップをきってベルトコンベアーに流れてくる。
一昨年は30台ほどだったBRAVIAが去年は約200台列をなして流れでくる様は圧巻!
CMの撮影でもしているのか?と思うほどの光景で、写真や動画が撮れるのなら是非とも撮りたかった。
100台までは数えていたがその後は面倒くさくなり並べられた段ボールを眺めていた。
しかし判で押したように32型なのが面白い。
インドでのSONY人気を実感しつつ自分の楽器とスーツケースはいつ流れてくるのか?
もう200台を超えたぞと見ていたら最後にLG製の32型が1台流れてきた。
ちょっと誇らしい思いで税関を抜けてプリペイドタクシーの窓口を目指した。

がんばろう日本!

2011/04/30

Baiju Bawra

1952年制作の映画では夢のデュエットを聴くことができる。
設定はムガール帝国アクバルの宮廷。
楽聖ターン・センをUstad Amir Khan、主人公をPandit D.V.Paluskar。
この二人のデュエットが実現し今聴くことが出来るのは娯楽の王様映画ならではのことだ。
ここで二人は歌合戦をする、なんと贅沢なことだろう。
私が最も敬愛する二人の声楽家、さて勝敗やいかに?



Pandit D.V.Paluskarは今後紹介します。

Kirana Gharana

Ustad Abdul Karim Khan(1872~1937)

Kirana GharanaはUstad Abdul Karim Khan の生まれた(Uttar Pradesh州のMuzzafamagar)場所を本拠地としている。
彼の音楽は南インドのMysoreの宮廷で活躍した祖父Ustad Ghulam Ali Khanとその兄弟Ustad Ghulam Maula Khanにそのルーツがあり、南インド音楽の影響を受けている。
彼は当代きっての美声といわれたが、スローテンポで丁寧に唄われる各音のタッチも絶妙だった。
普段はまるで音楽に帰依する修行僧のような生活だったと言う。
これは多くの人から聞いたまるで伝説のような話。
多くの弟子と共にコンサート会場に向かって汽車に乗っていた彼は自らの死期を悟り弟子と共にある駅で下車した。
駅近くに生えている大樹の木陰に座ると彼はRag Darbari Kanadaを唄い、そして唄い終えるとそのまま息をひきとったと言う。

別テイクもあるのでこのテイクではないかも知れないがPandit Bhimsen JoshiをKhayalの道へ導いたRag Jhinjoty。



Uatad Abdul Wahid Khan(1885~1949)

Ustad Abdul Karim Khanの従兄弟で共にKirana Gharanaを牽引した声楽家。
共に多くの音楽家に影響を与えたが、Master of Taranaで紹介したUstad Amir Khanにも多大な影響を与えたと言われている。

Rag Darbari Khanada



Smt.Hirabai Barodekar(1905~1989)
Ustad Abdul Karim Khan の娘でUatad Abdul Wahid Khanからも指導を受けていた。

Rag Yaman



Pandit Sawai Gandharva (1886~1952)

Ustad Abdul Karim Khanの一番弟子と言われKirana Gharanaの伝統を不動のものとしPandit Bhimsen Joshi(1922~2011)やSmt.Gangubai Hangal(1913~2009)を指導した。

Rag Puriya Dhanashree



Smt.Gangubai Hangal(1913~2009)

2011/04/29

A.R.Rahmanの思い出

インドで最も支持されている音楽は映画の挿入歌だ。
昔は伝統音楽に基づいたスタイルの音楽が多かったが、最近は世界の最先端を行っていると言っても過言ではない。
90年代初頭ロングラン大ヒットしていた「Roja」という映画のサントラに皆夢中になっていた。
街を歩けばいたるところから聞こえてくるその音楽を私も少なからず楽しんでいた。
インドでそれまで聞いたことのないタイプの音楽で何か新しいセンスを感じた。
もう今では超有名なA.R.Rahmanがその音楽の作家だった。
当時のインドで揃えられた機材で作った音楽は私にはかえって新鮮に感じられた。
日本では聞き慣れた初期のデジタル音源を使用していたが使う人が変わるとこうなるのか?と感心した。
そのサントラの中から綺麗な声のなんちゃってレゲエかな?という1曲。

CHUPKE CHUPKKE RAAT DIN

Ghulam Aliの作品はインドでも錚錚たる歌手たちがカバーしている。
往年のフィルムソングシンガーも


若い世代の歌手もやはりカバーしている。
衣装は郷ひろみさんぽいが


そして世代を超えた夢のデュエットも

2011/04/28

Patiala Gharana

多くの声楽家を輩出したGharana(school)。
Punjab州、Patialaのマハラジャの宮廷でUstad Fateh Ali Khan とUstad Ali Baksh Khan によって創立された。
18世紀にPatialaの宮廷が滅ぼされるとDelhiのムガール朝の傘下に入る。
Khyalの他にThumriやGhazalで有名でKhyalではEktal(12beat)Tintal(16beat)を多く用いて唄われる。
特に5音階のRagを得意とする傾向もありターン(音階を走るように唄う唱法)は複雑なパターンを組み合わせて構築され様式美に満ちている。

このGharanaの代表的なKhyal歌手は

Ustad Bade Ghulam Ali Khan

http://www.metacafe.com/watch/825327/ustad_bade_ghulam_ali_khans_concert_in_calcutta_1963/



Begum Parveen Sultana





Pandit Ajoy Chakravarthi


パキスタンのGhazal歌手で忘れてはならないGhulam Ali(同姓同名が多いので特にUstad Bade Ghulam Ali Khanとはよく混同される)。
Ghazalはイスラムの恋歌で北インド音楽ではライトクラシカルに分類されるジャンル。



2011/04/27

ウエーダー

解禁から一月経とうとしているがまだ渓流へ行けていない。
季節もなんとなく足踏み状態で得意とする虫達も出ていないようだし盛期の訪れを首を長く待っている。
今年は10数年ぶりにウエーダーを新調した。
途中ネオプレーンで膝までの夏向きのギアを使っていたので、古いウエーダーは10年くらい使い続けた。
穴が空くたびに補修を繰り返してきたが去年の釣行ではどこから漏れているのかわからないほどの状況だった。
最終的にはネオプレーンのソックス部分が水を浸透しているようで使い続けることをあきらめることとなった。
新しいものは素材や裁断の進歩は著しく快適さは格段の違いを感じさせる。
このウエーダーを履きつぶすまで自分の足腰が川歩きに耐えられるのか?
以前のように沢をよじ登るような釣りはしないまでも川歩きは座る職業の私にはかなりハードエクササイズだ。
昔、腰痛予防には川歩きがいいよと教えられ始めた渓流釣りだが、そのおかげでそれほどの腰痛に悩まされることなく座り続けていられている。
家の近所では山吹が咲いている。
フライを巻かなくては・・・・

2011/04/24

Taj Mahal

世界の歴史上最も贅沢な廟の一つアグラのタージ・マハルは、ムガール帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが妻ムムターズのために建立したものだ。
彼の望みはタージ・マハルの建っているヤムナ河の対岸に同じデザインの黒い廟を自らのものとして建立し二つを橋で繋ぐというものだったという。
歴史には必ず尾鰭端鰭がついてくるが、タージ・マハルの建設によって帝国の財政が逼迫し息子によって彼は幽閉された。
今でもインドでは大理石は比較的安価なマテリアルだが、黒い御影石などはその十倍以上の高価なマテリアルだ。
黒いマハルは尾鰭端鰭なのか?
リンクはグーグルアースの航空写真だ。
想像と興味は尽きない?


大きな地図で見る

Pandit Nikhil Banerjee(1931~1986)

多くの音楽家を輩出したMaihar Gharana(school)の中で最もユニークな演奏家の一人。
二大シタール奏者Pandit Ravi ShankarとUstad Vilayat Khanの圧倒的存在感とカリスマ性に、多くの奏者がその音楽をフォローしていった中で彼は独自の音楽性を執拗に追い求め、それを実現しうるに至った。
音楽への徹底的とも言えるバクティー(献身)は音楽における獰猛な求道者と言えた。
タッチ・音色・一つ一つのフレーズ、考え得る全てにおいて徹底的に独自のこだわりを貫く姿勢は、54才という若さでこの世を去らなければならないほどその身を削らせたのかも知れない。
独自のスタイルと言ってもそれは決してエゴイスティックなものではなく、それとは正反対の透明で涼やかな美しさに満ちた音楽だった。
その限りなく透明な音色に初めて触れたとき私は心の中の自分の知らなかった部分がピンとはじけた。
そして彼の獰猛な情熱が炸裂するクライマックスに至る頃にはわしづかみにされた心が遙か虚空に投げ上げられてしまった。

特に晩年の数年間演奏を重ねていくたびに彼は高みに登り詰めていく。
どこまで行ってしまうのだとファンの期待が最高潮に達したときに、突然彼は神にとりあげられてしまった。
そして残された世界中のファンは彼の余りに早すぎる死に慟哭した。

彼が世を去る3ヶ月ほど前のインタビューをweb上で読むことが出来る。
http://www.raga.com/interviews/207int1.html


http://www.youtube.com/watch?v=tT_BVK_Q6i8


2011/04/22

Uatad Ali Akbar Khan(1922~2009)

北インド音楽の至宝・巨星、Ustad Ali Akbar Khanがこの世を去ったのは一昨年6月のことだった。
音楽における全てを兼ね備えていたと言っても過言ではないこの偉大な音楽家を創りあげたのは、父Ustad Allauddin Khan(1881~1972)と彼自身の限りない音楽への献身だった。
ムガール帝国時代に活躍した伝説的音楽家Miyan Tansenの血をひくUstad Wazir Khanの弟子だった父のスパルタ教育ぶりは有名だった。
Ustad Allauddin Khanに杖で殴られへそを曲げてMaiharを去ろうとしたPandit Ravi Shankarに「殴られたくらい何でもない、私などはしょっちゅう一晩中木にに吊されてきたんだ。」と説得した逸話はよく知られる。

13才の時にAllahabadでデビューコンサートから彼の輝かしい音楽キャリアはスタートする。
1943年JodhpurのマハラジャHanwant Singhの宮廷楽師になる。
音楽に造詣の深かったHanwant Singhは惜しみなく彼をバックアップし学校も設立する。
しかし1948年に若きマハラジャが飛行機事故で亡くなり大きな喪失感と共にJodhpurを去ることになる。
1956年Ali Akbar College of Musicをコルカタで開くが、後にBerkeley、そして1967年にはSan Rafaelへと教育の拠点をアメリカに移す。

演奏家として大成しただけでなく新しいRagも数々残している。
Rag Chandranandan
Rag Medhavi
Rag Gauri Manjari
他

若くして完成された音楽家だったが年を追うごとにその音楽は輝きを増していく。
それは完全というものも成長していくのだという驚きを実感させられる。
生きた無限は永遠の中で輝き続けるだろう。

インド国内での栄誉はもとより、数々のアメリカでの功績をたたえられ「National Heritage Fellowship」という伝統芸術家に贈られる最高の栄誉をアメリカ政府から受けてる。




Master of Tarana

Ustad Amir Khan(1912~1974)はその絶頂期に最も惜しまれつつ自動車事故で他界してしまった声楽家。
即興性が最も重んじられる北インド音楽の中で、彼の即興性は最も想像力に富んだものだった。
北インド音楽家の中では様式美を追求するタイプと一瞬の創造性を追求するタイプがいるが、彼は後者の中で最も成功した音楽家だった。
絵画にたとえるならば巨大なカンバスに完全なる無限を描くような想像力を持っていた。
また多くのレパートリーよりも一つ一つのレパートリーの完璧性に重点を置き細部まで突き詰めていた。
一瞬一瞬にひらめく想像力をメロディーに還元させるには意識のどの部分とどの部分を接続したらいいのかをわかっていたのかも知れない。
とにかく聴衆は彼の想像力に酔いしれた。
20世紀の全てのジャンルの声楽家の頂点に君臨する一人と言っても過言ではない。




不都合な現実

今真夏のピーク電力消費量というのがが問題になっているが、真夏の太陽がギラギラと照っている時は降り注ぐ太陽エネルギーも最大なのだから、そのエネルギーで発電する方が効率的だと思うのは不自然なのだろうか?
原発近くに住んでいたために二重三重の苦労を強いられている人々のことを考えると、絶対安全という太鼓判を想定外という言葉で打ち消せはしないのではないだろうか?
全ての原子炉を止めた場合真夏にどれ程の暑さに耐えなくてはならないのか?
私達はその暑さを我慢できないのだろうか?
CO2より遙かに危険な物質を前に、他の方法でCO2を減らす想像力を私達は持てないのだろうか?

2011/04/21

Aftab-e-Sitar (Sun of Sitar)

Ustad Vilayat Khan(1924 or 1928~2004)は最も愛されたSitar奏者の一人。
演奏家になった初期の録音から晩年の録音へと聴いていくと、彼が音楽を通して偉大な旅をしたことがうかがい知れる。
つまり基本に忠実な奏法から彼独自の音楽の完成への試行錯誤、その過程で様々な美を生み出し大輪の花を咲き誇らせるに至った。
音楽家の家系に生まれた彼の人生は決して順風満帆ではなく、人気Sitar奏者だった父Ustad Enayat Khanをわずか9才の時に亡くし、祖父Ustad Imdad Khanや親戚から指導を受けた。
口伝で音楽を伝えてきた北インド音楽家の家系を継ぐ彼にとって、とても難しい学習環境を強いられたと言える。
多くの助力に支えられた中でも絶大な人気を誇った声楽家Ustad Amir Khan との親交はよく知られている。

そして彼が創っていった奏法・スタイルは他に類を見ない独自性に溢れたものとなり聴衆の圧倒的な支持を得ることとなった。

私も多くのコンサートを聴きに行ったがどの演奏にも感銘を受けた。
私の師匠は最も印象的だったパフォーマンスについてこんな話をしてくれた。

Uatad Vilayat Khanのリサイタルが行われた日、印パ戦争により戒厳令が敷かれた。
戒厳令は夜間外出禁止なのだがすでにUstad Vilayat Khanも観客もすでにホールに入っており、朝まで誰もホールから出ることは許されない。
通常リサイタルの場合は3時間位のコンサートなのだが、オーガナイザーは彼に何とか朝まで演奏を続けて欲しいと懇願した。
それは10時間を超える常識では考えられない長時間のパフォーマンスを意味していたが、彼はそれを受け入れオールナイトの演奏をすることになった。

北インド音楽のRagは演奏する時間帯が指定されているので、夕暮れ時のRagからコンサートはスタートし途中休憩を挟みながら演奏は続き、戒厳令が解ける朝に彼が最後に弾いたRagはBrindavani Sarangという昼に演奏されるRagだった。
つまり現実の時間よりも演奏されたRagの時間の進みの方が早かったということだが、私の師匠は生涯忘れることの出来ない最高の夜だったと話してくれた。

Aftab-e-Sitar(シタールの太陽)Star Nawaz(シタールの王)という称号で呼ばれたUstad Vilayat Khan。

日本風に言うなら「シタールの鉄人」だろうか?




2011/04/20

デジタルとアナログ

昨年相次いで2台のパソコンのハードディスクがクラッシュしてしまった。
まあハードディスクの耐用年数と言われる10年は超えていたので予想はしていた。
トラブルに見舞われたのはPower Mac G4とPower Book G3で、いずれもMac OS9という前時代的な環境だった。
G4の方はこれまで2回ハードディスクを交換していたがG3の方は1月に初めて交換してみたが、P-Ramバッテリーもだめだったのでそれも交換した。
今ではMac Book ProとThink Padを使っているので手放しても良かったのだが、一応動態保存しておくことにした。
本体よりもソフトウエアのバージョンアップに立ち向かおうという冒険心をもった侍ではないので慣れ親しんだ環境があると安心する。
新しいパソコンでの作業のため以前メインで使っていたCubase VSTからCubase5に移行するのには苦労した。
Mac BookでCubase4もいじってはみたが結局Think PadでCubase5を選択した。
Mac OSからWindows XPに変わった戸惑いも大きいが、ソフトのバージョンを一つ飛ばした戸惑いはそれ以上だった。
いい指導者に恵まれ最近やっとなれてきたところ。
最近のプラグインがアナログ的な音を目指しているところがとても面白い。
以前CDのマスタリングで真空管のプリアンプを通していたことを考えると、音色の変化はそれに近く圧倒的にノイズが少ない。
デジタルの進化がアナログの方を向いている。

ところで以前のパソコンのクラッシュと共に多くの方々の連絡先が失われてしまいました。
最近メール通信が届かない方、ご希望の方はH.Pにご一報ください。
不定期ながらご案内いたします。

Pandit Bhimsen Joshi

Bharat Ratna(インドの宝石)というインド政府から贈られる最高賞も受賞した、北インド音楽の声楽家Pandit Bhimsen Joshi(パンディット・ビムセン・ジョシ)氏が2011年1月24日に88才で逝去された。
名実共にインドを代表する声楽家で数多くの逸話も残されている。
幼少期にUstad Abdul Karim Khan(Kirana Gharana)のJhinjhotiのレコードを聴き声楽家を目指し11才の時に故郷を離れ師匠捜しの旅を始める。
3年間の旅で紆余曲折の末目指すべき声楽家が自信の故郷にいることを知りJalandarへ戻る。
彼が師事したのはUstad Abdul Karim Khanの高弟だったPandit Sawai Gandharvadaだった。
Pandit Bhimsen Joshiは1988年のインド祭には来日し公演とCDもリリースしている。

北インドの声楽は最初かなり取っ付きにくいと思うが、表現の根本でもあり理解できる頃には北インド音楽の深淵を垣間見ることになる。
これらの映像は壮年期にテレビ局が収録した番組。
かなりのインパクトを感じてもらえると思う。





Pandit Bhimsen Joshi氏の冥福をお祈りします。

2011/04/19

東北関東大震災で犠牲になられた方々に心から哀悼の祈りを捧げると共に、被災され不自由を強いられている方々に心からお見舞い申し上げます。

地震から1ヶ月余りが経ちましたが余震と原発の事故は続いており、日常とはほど遠く言葉を失う毎日が続いています。
色々な思いや考えが噴出しすぎて思考停止だけは避けなければいけないと思う日々の連続です。

新しいアルバムの制作中でしたが、私なりに出来ることを考えスタッフとも相談しチャリティー音源を一つ立ち上げました。
http://kenjiinoue.bandcamp.com/album/rag-malkauns

あまりにも微力と思える支援ですが、どうかご協力ください。
よろしくお願いいたします。

2010/07/19

今シーズンはキャンプの予定がことごとく大雨や増水に阻まれてしまった。
雪代も遅れぎみでスタートも躊躇し、キャンプにいい季節は大雨のニュースで気も滅入ってしまった。
遠出をする時間もなかったので、比較的雨の少なかった丹沢に何日か通ってみた。
毎回数時間ではあるものの毛ばりに反応する魚達のおかげで楽しい思いができた。

イワナくん



ヤマメさん

まったく何というデザインなんだろう

それにしても写真にその姿を写すのは難しい。
まあ携帯のカメラで贅沢は言えないのだが・・・。

釣り上げたときの息を呑む美しさはやはりその場だけの感動。

20数年前、コンサートの翌日
初めて徳島県の渓流へ案内された時
流れから飛び出してきたアメゴは宝石のようだった。
それは小さな魚だったが私の脳を揺らすドッスンパンチをお見舞いしてくれた。

以来渓流魚に魅了されつづけている。